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第015回 2006/04/17
復活祭前夜、暗闇の祈り─クープランの「天上の音楽」

DISC15

米ウエストミンスター WL 5387
フランソワ・クープラン
『ルソン・ド・テネブレ(1−3番)』

ユーグ・キュエノー/ジノ・シニムベルギ(T), フランツ・ホレチェック(クラヴサン/オルガン), リチャード・ハランド(チェロ)

(発売:1954年)


 日本では、春分の日を迎えて、そろそろ各地で花見が盛んになるころ、西欧や中南米を中心とするキリスト教諸国では、磔刑死したイエスの復活を祝う復活祭(イースター)の時節へと突入する。ただし、キリスト教で最も重要なこの祝祭日の日程は、毎年変わるため移動祝日と呼ばれ、まず中心となる復活祭(イースター・サンディ)の日が、「春分の日(3月21日に固定)以降の満月の次の日曜日」と決められる。その2日前の金曜日がキリストの受難と死の日、即ち「聖金曜日(グッド・フライディ)」、復活祭の40日(ただし日曜を除くので実際は46日)前が、「灰の水曜日」と呼ばれ、この日から40という意味の4旬節(受難節とも呼ばれる)が始まる。これは、キリストが荒野で断食を始めたのが、復活の40日前だったということになぞらえたものだが、以降肉食を絶ったりして、いよいよ復活祭に向けての準備が始まるのである。この「灰の水曜日」前の数日間が謝肉祭(カーニヴァル)で、ばか騒ぎをしたりする。大水害にあったニューオリンズの名物マルデイグラが開催されるのも、この間である。ただ、こうした教会歴は、宗派とか地域によって若干異なるようだ。
 復活祭の1週間前の日曜が、「受難の主日」または「枝の主日」と呼ばれ、この日から「聖週間」が始まる。例えば、聖週間の木曜日は、「聖木曜日」と呼ばれ、「最後の晩餐」を記念するのである。
 ちなみに、今年(2006)の場合、復活祭は、カトリック、プロテスタントなど西方教会では4月16日、東方正教会では4月23日(グレゴリオ暦)の日曜日と決まっている。
 ちょっと前置が冗長になってしまったが、こうした日程で毎年盛大に行われるキリスト教徒最大の祭が復活祭であるのも、キリストの復活という事実がすべてのキリスト教徒にとって、いかに重要な意味をもっているかの証左ともいえよう。すべての人の身代わりになって、十字架上で死んだキリストが、2日後になって蘇ったという事実を信じ、お祝いすることこそ、罪深き人間が永遠に救われる道であり、キリスト教信仰の原点に他ならない。

 今回は、この時期に演奏されるフランス・バロックの巨匠、フランソワ・クープランによる静謐で天国的美しさに溢れた「ルソン・ド・テネブレ」を取り上げたい。じつは、筆者が、この曲を初めて知ったのは、40年以上前になるが、ニューヨークで、バロック音楽の好きなアメリカの友人の薦めによりレコードを聴いてからだった。
 「ルソン・ド・テネブレ」とは、先に述べた復活祭前の「聖木曜日」から「聖土曜日」までの3日間の聖務日課と呼ばれる祈りの儀式のうち、まだ真っ暗な未明に行われる朝課のことである。「ルソン」は、フランス語で「読唱」、「テネブレ(テネーブルとも呼ばれる)」は「暗闇」なので、「暗闇の朝課の読唱」といった意であろう。僧堂に灯るろうそくの火を1つずつ消して、祈りの儀式の終了とともに漆黒の闇になることからそう呼ばれるが、読唱の内容は、旧約聖書の「エレミア哀歌」がラテン語で唄われる。
 この「ルソン・ド・テネブレ」は、17世紀以降になって、ランベール、シャルパンテイエ、ド・ラランド、ベルニエ、クープランなど、主にフランスにおいて作られるのだが、中でも有名なのは、シャルパンテイエとクープランによるものだろう。
 ただし、クープランのもので現在残されているのは、第1日、「聖木曜日」のための3曲のみで、2日目「聖金曜日」と3日目「聖土曜日」のそれぞれ3曲は現存していない。残されている最初の2曲は独唱用、3曲目は重唱用で、伴奏には、オルガンかクラヴサン、それに低音ヴィオラか低音ヴァイオリンが加わることもある。
 詩は、何れも「エレミアの哀歌」から、第1番が、第1章1−5節、2番が6−9節、3番が10−14節をテキストにしており、最後は、何れも切々とした「エルサレム、エルサレム、汝の神に立ち返れ」の悲痛な呼びかけで終わっている。
 それぞれの曲は、アリオーソとレシタテイーヴォによって交互に進められ、とくに叙情的な美しいメロディ・ラインにロココ風なしゃれた装飾音が鏤められて、えも言われぬ魅力が醸し出されるが、何れも深い瞑想の中に、魂の安らぎを感じさせる名曲である。
 尚、筆者が40年前に聴いたレコードは、米アレグロ盤(番号 ALG 91)で、これには第1番しか収録されていなかったが、針を下ろすと鳴りだした音楽の幽玄にして精妙な美しさに思わず息をのんだ。このレコードは、1902年スイス生まれの名テナー、ユーグ・キュエノー(彼は1950年、バッハ没後200年を記念して製作された省略なしのレコード史上最初の全曲録音であるシェルヘン指揮「マタイ受難曲」の大役エヴァンゲリストを唄っている)独唱に、指揮とクラヴサンをダニエル・ピンカムほか、2挺のヴァイオリンと1挺のヴィオラ・ダ・ガンバの通奏低音によるものだったが、真夜中の僧院で語られ唄われる悲劇的な「エレミアの哀歌」の響きの何という繊細にして叙情美溢れる夢幻の世界が創出されていたことか!!(しばらく廃盤だったこの演奏も その後、米アレグロの廉価盤 LEG−9014 として再発され、嬉しさのあまり何枚も購入して仲間たちに配った記憶がある。)

 今回取り上げたのも、その同じキュエノーによるものだが、全3曲を収録した米ウエストミンスター盤。アレグロ盤より数年新しい録音だが、あえてこちらにしたのは、一般的にはより重要視されてきた第3番を含んでいること、演奏の質、とくにキュエノーの場合、アレグロ盤と大差ないことがその理由である。
 ところで、このクープランという作曲家、1668年のパリ生まれ、1733年に同地で亡くなった。従って、コレルリ(1653〜1713)、ド・ラランド(1657〜1726)、パーセル(1659〜95)、アレッサンドロ・スカルラッティ(1660〜1725)、カンプラ(1660〜1744)、ヴィヴァルデイ(1678〜1741)、ラモー(1683〜1764)、ドメニコ・スカルラッティ(1685〜1757)、バッハ(1685〜1750)、ヘンデル(1685〜1759)らバロックの巨星たちとほぼ同時代である。
 時あたかもフランスでは、1643年に即位した太陽王ルイ14世から、続く15世の治世で ルイ王朝の絶頂期であった。ドイツのバッハ家同様、クープラン家も有名な音楽家の家系であり、代々勤めてきたパリのサン・ジェルヴェ聖堂のオルガン奏者として10代からその地位にあったフランソワ・クープランは1693年以降、国王の礼拝堂付きオルガン奏者として、先輩リュリ、少し後輩のラモーらとともに、ヴェルサイユ宮殿を中心に活躍、華麗な王朝文化の一翼を担うこととなる。

 筆者は、一昨年(2004年)秋、クープランの「シテール島の鐘」「恋のうぐいす」など幾つかのクラヴサン曲や「王宮のコンセール」「コレルリ賛」「リュリ賛」など室内楽曲のCDを携えて、久し振りにパリ郊外のヴェルサイユ宮殿を訪れ、300年前この絢爛たる宮廷で夜な夜な王侯貴族のために開かれた華やかな音楽会や舞踏会に思いを馳せる機会を得た。これらエスプリにあふれた上品で優雅なクープランの音楽は、フォーレやドビュッシーからラヴェルに至るその後のフランスの作曲家たちにも多大な影響を与えている。

 たとえ復活祭には無縁の非キリスト教徒ではあっても、この時期にフランス・バロックの巨匠クープランによる洗練された「天上の音楽」ともいうべき「ルソン・ド・テネブレ」の第1番だけでも、是非聴いて頂きたいものだ。

 ジャケット画は、磔刑後十字架から下ろされた死せるキリストを抱くマリア像。一般に「ピエタ」と呼ばれるものである。