沼や湖の辺に生える葦原などで生活する水辺の野鳥です。警戒心が強く、普通なかなか直射日光の当たる、ヒトが見やすい場所に出てきません。クイナの仲間は、ほとんどが、湿地帯に住み、夜行性といわれています。沖縄で、二十世紀動物学会の大発見といわれた新種「ヤンバルクイナ」(1981年発見)もこの好湿地性と夜行性という生態の性格上、長年研究者の目に触れなかったからなのでしょう。
日本の本州以南で冬場に見ることができるクイナは、東北地方北部から北海道で繁殖するといわれています。関東地方では、その意味で冬鳥といえます。ドバトより少し小さく、あまり飛翔には優れていないようで、危険を察知すると、飛び立つのではなく何はともあれ草むらや、葦などの茂みに逃げ込みまず体を隠そうとします。
湿地帯の昆虫、小動物、甲殻類などの他、植物の根や柔らかい芽も餌とする雑食性です。タイトルの写真でお判りのように、冬場のクイナは上嘴は黒く、下嘴は赤、顔の周りは青味を帯びた褐色で上半身は褐色に黒い縦斑が混じっています。腹部は薄い青味を帯びた褐色で、下尾筒部は黒く白い横斑がくっきりと目立ちます。よく見ますとなかなかカラフルな装いです。また他のクイナの仲間と同様、歩くときピンと尾を立てます。これがなかなかほほえましく見えます。臆病な野鳥というイメージがありますが、その割に顔立ちや色彩は大胆だと言えるでしょう。
平野部での湿地帯の減少、それに伴う湿地の生き物の減少、また他の水辺の野鳥との競合などで、どうもクイナの生息環境にあまり明るい未来が見出せません。下の写真は、私の住むさいたま市の水田地帯の一角ですが、ここには、クイナの他、つい最近まで同じくクイナの仲間、「シロハラクイナ」やバンも住んでいました。
佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲の「夏は来ぬ」の曲は有名な唱歌ですが、その4番と5番にクイナの声が歌われているのにお気づきでしょうか。
4番:門遠く 水鶏(くいな)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ
5番:水鶏(くいな)鳴き 卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ
残念ながら私はクイナの声を聴いたことがありません。クイナの声を録音したURLです。
http://komatan.jp/kanagawa/birds-records/kuina.aiff
ちょっと物悲しげではありますが、明瞭な鳴き声です。クイナの声といいますと、かのノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏のご長男との話が思い浮かべられます。 知的障害により言葉を発しなかった長男、光君が鳥の声に敏感に反応する様子を見て、氏は鳥の声を録音したレコードをテープにとり、繰り返し聞かせたそうです。 そして光君6歳のとき、軽井沢でクイナの声に接し、生まれて初めて発した声がテープの音を模して、「クイナ、です」ということばだったという感激的なエピソードが伝えられています。
おそらくそれ以降のことでしょう、今から20年以上も前、大江氏の確か読売新聞への寄稿文(タイトルも判然としませんが)に「クイナの声」が文中にそれとなく使用されていることに、上記のような話を知らなかった私は、氏の自然への興味の持ち方の深さに感心したものです。
クイナは夏の季語で、多くの著名な俳人がうたっています。
この宿は 水鶏も知らぬ 扉かな 芭蕉
桃灯を 消せと御意ある 水鶏か 蕪村
水鶏来し 夜明けて田水 満てるかな 河東 碧悟桐
馬道を 水鶏のありく 夜更けかな 泉 鏡花
さて、古来クイナは「くひな」と書かれ、どうもヒクイナを意味したようです。クイナは本来関東地方以南では冬の鳥、ヒクイナは典型的な夏の鳥です。どうも、唱歌「夏は来ぬ」も、上の全ての俳句も、実際には「ヒクイナ」を指していたのではないでしょうか。いずれも実際の姿を見ることは簡単ではありませんので。下の写真は、クイナより一回り小さなヒクイナです。
ヒクイナは、夜間高い声で、「キョッ、キョッ、キョッ」と鳴きますが、その声は、「門の戸を敲(たた)く」と形容されます。 源氏物語の明石に「くひなのうちたたきたるは、たが門さしてとあはれにおぼゆ」とあります。更級日記には、「たたくとも誰かくひなの暮れぬるに山路を深く尋ねては来む」とうたわれています。「徒然草」では、「五月あやめふくころ早苗とるころ、水鶏のたたくなど心ぼそからぬかは」と春の風景の中に描かれています(第19段)。 俳句、和歌、古典文学ともに、クイナは、夜、そして物悲しさが付きまとう雰囲気を感じさせます。
ひっそりと住むクイナです。川や沼に葦が茂っている箇所があれば、冬場枯れた葦の茂みから、ひょっこり顔を出す可能性のあるクイナを探してみてください。ほとんどが単独行動で、2羽の番を見ることができれば非常に幸運といえます。