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ホーム/コラム/徒然野鳥記/第82回オオソリハシシギ
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第82回 2008/09/01
オオソリハシシギ

オオソリハシシギ
オオソリハシシギ

(80) オオソリハシシギ 
   「チドリ目シギ科オグロシギ属」
    英名: Bar-tailed Godwit
    学名: Limosa lapponica

    漢字名: 大反嘴鷸

    大きさ:39cm




オオソリハシシギ:根元の太くピンク色をした嘴が、その先では黒くなり、先端に行くにつれやや上に反り返っているシギで、大型です。嘴が目立って長く、よく見ると反っていることが分かる、まさに名前通りの(ハシは嘴の意です)水辺の鳥です。繁殖はアラスカ西海岸からシベリアの北極海沿岸で行い、東半球の場合、オーストラリア、ボルネオ、マレーシア、ニュージーランド沿岸で越冬します。 地球の最北部からはるか赤道を越え、南半球の南部までを往復する途中に、日本に、秋と春に立ち寄る旅鳥です。

春は、北へ向かう途中、夏から秋にかけては南へ向かう途中に、我が国に留まり、それまでの長い道程の疲れを癒し、これからまた飛行する長い距離への準備をするのです。私が見かけてきたのは大体干潟や河口といった、海水域や汽水域だけでしたが、図鑑やインターネット上の情報では、河川や田圃などの淡水域にも飛来するようです。

夏羽と冬羽では大きくその色が変化します。写真下の左が夏羽、右が冬羽です。比較されれば一目瞭然ですが、夏羽では首から下腹部にかけて鮮やかな赤褐色です。同じ部分が冬羽では白くなります。また、背中も夏羽では黒味の強い褐色に赤褐色を帯びた部分が混ざり、一枚一枚の羽根が白く縁取りされますが、他方冬羽では全体として灰色味のつよい薄い褐色で、羽縁も広く白っぽくなります。またタイトルの写真は、飛翔する夏羽と冬羽の混在した、オオソリハシシギの集団飛行中のものです。

夏羽のオソリハシシギ
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冬羽のオソリハシシギ
夏羽のオオソリハシシギ
 
冬羽のオオソリハシシギ

さて、鳥にとって羽毛の手入れは、飛ぶ上でとても重要です。一般的には嘴で手入れするのですが、嘴の届かない頭や、顔の部分の手入れには二種類の方法があります。下の写真は、若いオオソリハシシギですが、翼を開かず直接頭部に足指を当てています。この方法を直接頭掻きと呼び、大きな鳥のほとんどがそのような方法をとります。他方、小さい鳥は翼を開き身体と翼の間から足指を当てますがこの方法を、間接頭掻きまたは翼越し頭掻きと呼んでいます。何となく微笑ましくなるポーズです。

オソリハシシギ
直接頭、顔を手入れする若い個体

一般的に、シギの仲間はすべてが直接頭掻きを、チドリの仲間はほとんどが間接頭掻き法をとるようです。補足しますと、シギの嘴はこのオオソリハシシギのように上に反り返ったり、大きく下に向け湾曲したり(ダイシャクシギ、ホウロクシギ、チュウシャクシギなど)、先端が広がっていたり(ヘラシギ)と形状に大きな変化に富んでいますが、チドリの仲間の嘴は短く、大体黒く直線的であるといえます。

餌は、ゴカイ、貝、時として昆虫などで、肉食性です。砂の中の餌を採るときには、躊躇せず嘴の根元まで(写真1)、時としては顔の一部までも(写真2)砂に突っ込んで捕捉しようとします。ちなみにチドリの仲間は、顔の一部まで砂に突っ込むことはしません。むしろ餌を見つけると、油断するのを待っている感があります。

オソリハシシギその1
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オソリハシシギその2
砂に頭を入れて餌を採るオオソリハシシギその1
 
砂に頭を入れて餌を採るオオソリハシシギその2

大きさとシルエットが非常によく似た鳥、オグロシギは、どう見ても嘴が直線的です。また、夏羽ではこの二種類は見分けやすく、腹部の明るい鮮やかな赤褐色部が胸から首そして顔の部分まで広がっているのがオオソリハシシギで、腹部に留まるのがオグロシギです。また飛翔時、上から見ますと、オグロシギには翅に白い帯(翼帯)がはっきりと浮かび、また尾にも黒い尾の中に白の班が確認できますが、オオソリハシシギにはこれらはありません。また、両者が並びますと、オグロシギのほうが若干脚が長く、嘴根元のピンクの部分が長いのですが、これは同時に見ることがありませんと、比べることが困難です。

オオソリハシシギは秋の季語ですが、それを詠んだ俳句を知りません。かの新古今和歌集に、西行法師がシギを歌った有名な作品があります。

  心なき身にもあはれは知られけり、鴫立つ沢の秋の夕暮れ

西行が、大磯で詠んだといわれるこの歌、鴫(シギ)が、これまで見てきたこの大きなオオソリハシシギであったのか、もっとずっと小さな、むしろチドリであったのか(この時代シギとチドリは明確に区分されてはいなかったようです)によって、感じることのできた「あはれ」の内容は大きく異なってきそうです。もし万が一、オオソリハシシギであったなら、この秋の夕暮れ時、西行はかなり長い時間、飛び去っていく鴫に風流を感じ続けることができたでしょう。


 

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