人々に広く知られ、親しまれている野鳥、フクロウを新年に取り上げてみます。フクロウは、知識に富んだ森の博士であったり、哲学者であったりと、知の代名詞のように使われます(家庭教師派遣会社がフクロウをそのシンボルとして「ふくろう博士」とも自称しているように)。国内でフクロウが、知的な尊敬の念を含めて好意的に受け止められてきたのは、実はごく最近のことで、明治維新以降、西欧文化の感化によるものと思われます。
江戸時代以前のフクロウは、実は不吉であり、その声を聞いただけでも災いを呼ぶ恐ろしい鳥として理解されてきました。かの源氏物語では、再三、フクロウが気味悪いものの代名詞として登場します。「気色ある鳥の空声に鳴きたるも、『梟は、これにや』と、おぼゆ」(夕顔の巻)、「もとより荒れたりし宮の内、いとど、狐の住に処になりて、うとましう、気遠き木立に、梟の声を、朝夕に耳ならしつつ」(蓬生の巻)といった具合です。夕顔の巻の気色ある鳥とは、気味が悪い鳥の意味であり、蓬生の巻にいたっては、狐が住むようになるほど荒れ果てた屋敷の気味の悪い木立を更に強調するのがフクロウの声として使われています。
江戸時代には、フクロウは自分の父母を食べる悪き鳥とまでその地位を落とします。「梟 一名不孝鳥 喰母故也」(類船集)と記載され、母殺しの汚名が着せられます。江戸時代の著名な愛鳥家であり、多くの野鳥を飼育したことで知られた滝沢馬琴でさえ、「フクロウは不孝の鳥なり。雛にして父母を喰わんとするの気ありといふ。和名フクロウとは、父母くらふにて、父を喰うの義ならんか。かかる悪鳥も、またその子を思ふことは、衆鳥にいやましたり。」(燕石雑誌)と語られるのです。どうも、平安から江戸時代までの大変に否定的なフクロウ観は、中国の動植物史観の影響が大きかったようです。その代表的な「本草綱目」で、フクロウは悪鳥で、父母を食べてしまう、夏至には磔にすると記載され、それゆえに磔の上に鳥を置いて、梟(フクロウ)と書くとされていたものを盲信したようです。
しかし明治の時代に入り、西欧のフクロウ観が入って来ます。農業をもととした古代ギリシャでは、農耕に害をなすネズミを食べるフクロウは農業の女神アテネの従者と崇められるのです(現在でも、ネズミ退治にフクロウの仲間、「メンフクロウ」を積極的に採用したイスラエルのメンフクロウ農法がNHKで紹介されましたー2015年12月6日「ダーウィンが来た!」ー)。時代は一挙に19世紀にすすみ、近代哲学の泰斗、ヘーゲルは、こう語ります。「ミネルヴァの梟は迫りくる黄昏に飛び立つ」(「法の哲学」序文)。ミネルヴァとは女神アテネのことであり、フクロウはここで農業の保護者であること以上に、歴史的な現状を深く認識できるる女神の知的な補佐役、哲学の象徴としての役割を担っているのです。知的な象徴としてのフクロウはここに極まっています(このセンテンスの解釈には多くの説があるようです。私は近代哲学と近代そのものが、危機を迎えているとの警告だと考えています)
下を向いて伸びをする親フクロウ |
さて、和名のフクロウの語源には、すでに紹介した滝沢馬琴説以外に、毛のふくれた鳥であることからという、その見た目からの説と、鳴き声からという二つの説が有力なものとしてあるようです。「鳥名の由来辞典」では、「新井白石は鳴声によるとしているが(「東雅学」)これが定説である」と断じています。フクロウの鳴き声は、「ゴゥホウ ゴロスケ ゴゥホウ」と聞こえます。これがフクロウとは私には聞こえません。また、メスはギャーギャーと鳴くこともあると図鑑に記されていますが、私が青春時代前期に飼育していたメスのフクロウは、「ギャーギャー」としかなきませんでした。フクロウの鳴き声として、一般的にホーホーと鳴くものとされていますが、それはアオバズクで、より正確にはホゥホゥと短く、何度も繰り返します。
フクロウはユーラシア大陸の東西の中緯度地帯に広く生息しています。東の生息限が日本列島です。留鳥であり、都市型公園でも営巣、育雛しますので、その生態は広く知られているところです。頸は前後、そして左右にそれぞれ180度回転しますので、360度全てに顔を向けることができます。毛でおおわれているので、正面からは見えませんが左右の耳は眼の後方に、かなり段差をもってついています。顔を動かしながら、左右アンバランスな位置にある耳で餌の位置を正確にサーチできるというあんばいです。夜行性なのは、餌となる小動物に活動に合わせているためで、決して昼間目が見えないためではありません。飼育下では、昼夜の区別なく餌を食べます。特殊な羽毛の形状で羽ばたきの音が出ません。獲物を微細な音でキャッチしたフクロウは、羽音を立てることなく餌に襲いかかり鋭い爪で抑え込んで捕えるのです。
育てる雛は2羽から5羽、平均すると3羽弱でしょう。早春から初夏にかけてが育雛期間です。抱卵はメスが担当し、産卵後雛が孵るのにだいたい30日前後かかります。孵った後はオスが餌を運びメスがそれを小さく食べ千切り雛に与えます。雛が成長し、餌をそのまた飲み込むことができるようになると、雌雄ともに狩りに出かけます。雛の周囲に親鳥がいなくなることから、古代の中国の観察者は両親を食べたとしたのでしょう。雛は40日前後で巣から離れ、一旦巣から離れると、巣に戻ることはありません。上左は巣立ち前の雛、孵ってから1ヶ月近く経過したところです。また、上右は巣立ち後2,3日経過した状態の雛です。この時期までのフクロウは羽毛がまだ白く、成鳥とともに茶色味が増してきます。
フクロウと他のフクロウの仲間(アオバズク、トラフズクなど)との一番大きな違いは虹彩の色でしょう。他のフクロウの仲間の虹彩が黄色だったり、橙色であることが多いのに対してフクロウの虹彩は黒。そのために顔の雰囲気がよりヒトのように見えることから親しみやすさを覚えるのではないでしょうか。
フクロウは冬の季語で、多くの歌人が俳句に、短歌に詠んでいます。
黒い虹彩に着目したのでしょう。
梟や唾のみくだす童の目 (加藤 楸邨)
一茶の表現にはひとひねりがあります。 梟のむくむく氷る支度哉
牧水の歌にはちょっとさみしさが漂います。
啼きそめしひとつにつれてをちこちの山の月夜に梟の啼く(「別離」 若山牧水)
志賀直哉の鳴き声の観察はウィットに富んでいるように思えるのですが。
「先刻から、小鳥島で梟が鳴いてゐた。『五郎助』と云って、暫く間を措いて『奉公』と鳴く」(焚火)
里近くの森の住人フクロウ、長くヒトとともに生きて行ってほしいものです。
注)写真は、画像上をクリックすると拡大できます。