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ホーム/コラム/徒然野鳥記/第161回コアホウドリ

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第161回 2015/4/01
コアホウドリ
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コアホウドリ

161)コアホウドリ 「ミズナギドリ目アホウドリ科アホウドリ属」

    英 名:Laysan Arbatross
    学 名:Diomedea immutabilis
    漢字名:小阿呆鳥、小信天翁
    大きさ:80 cm

ごく限定された繁殖地で、それも繁殖の期間でしか陸上にいるところを見かけることはありません、全くの海洋性の大型の野鳥、コアホウドリをご紹介しましょう。アホウドリよりも小さいのでこの名前がついていますが、それでも大きさは80㎝、翼開長では2mにもなります。下右側の画像で、翼を全開にした際の長さがお分かり頂けると思います。良く知られていますように、絶滅危惧種で、環境省のレッドリストでは、絶滅危惧IB類(EN)に指定されています。

繁殖期をのぞきますと、その生活は全て北太平洋の広い大海原です。繁殖地を訪れる機会はありませんでしたので、今回の画像は全て太平洋三陸沿岸沖の船上で撮影したものです。さてその繁殖地ですが、国内では、小笠原諸島の聟島周辺(属島)の鳥島で、雛の誕生が確認されたのが1977年のことです。また、その聟島でもつい最近の2015年に繁殖活動が確認されています。小笠原諸島以外では、ハワイ諸島、クラリオン島、ミッドウェー島で繁殖しているといわれています。

世界でアホウドリ科の鳥は13種、そのうち北半球に生息するのは、このコアホウドリとアホウドリそしてクロアシアホウドリの三種だけです。三種の中では、このコアホウドリの生息数が最も多いといわれ、全世界で56万羽だと推定されていますが、国内の聟島周辺での確認はわずか50羽にすぎません。私がこれまで見かけることのできた洋上のコアホウドリはおそらく全て国外で繁殖した個体だと思われます。その三種全てが北太平洋に生息しますので、北大西洋にはアホウドリの仲間は生息していないようです。完全動物食性で、海洋生物の魚類、軟体動物、甲殻類を餌とします。

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アホウドリの命名は、馬鹿、阿呆といった蔑称が定着したものだと、どの資料でも憶測されています。地上を歩く姿は不格好でたどたどしく、また天敵を知らないゆえにヒトを恐れることなく撲殺されるに任せてきたからです。英名のALBATROSS(アルバトロス)は、ラテン語で白を意味するALBUSとカツオドリを意味するALCATRAZの合成語で、あえて言えば白い大海鳥」とでもいえますでしょうか。余談ですがゴルフでパー(規定打数)より3打数少なくホールアウトするとアルバトロスと呼ぶのは、この鳥が羽ばたきもせず一挙に数100メートルをを飛翔する(滑空)ことから讃嘆の意味でつけられました。ただ、英語圏ではダブルイーグルと呼ぶことの方が多いようですが。

また、学名のDIOMEDEA(ディオメデイア)は、ギリシャ神話の英雄ディオメデスに因んでつけられたものです。私が観察できたアホウドリ、コアホウドリそしてクロアシアホウドリは、ともに翼を広げた幅は2mに及ぶ大きさで、水面近くをゆうゆうと滑空する姿は勇壮で、神々しくさえ見えました。学名、英名ともにある種尊敬の念を秘めた名前を与えているのです。残念ながら、この鳥を阿呆と名付けたヒトのアホさ加減を悲しくも指摘するしかありません。

新田次郎はその作品の「孤島」で「かつて、この島はその名のとおり、鳥だけの島であった。秋の終わりから春にかけて集まるアホウ鳥の為に島は白く色が変り、近づくと揺れて動いて見えた程だった」と追憶しました。この表現は、この鳥島に漂着したジョン万次郎の記述にもとづいているのでしょう。「島全体が鳥で埋まり、ひとたび舞上がる時は、恰も島が空中に舞上がる様であった」と。

明治20年(1887年)、この無数のアホウドリに着目した、後に大資産家となるある個人に明治政府は10年間の借地権を与えます。 かくて、羽毛は国内外の羽毛布団に、肉や骨は加工して肥料にするため、アホウドリの組織的な撲殺作業が開始されます。ヒトが近づいても逃げないので、網は必要なく、捕獲には棍棒だけで十分だったのです。アホウドリの繁殖期に、屠殺者若しくはその運搬者として臨時雇用された人夫は最大300名に及び、毎年20万から30万羽が撲殺され続けます。明治35年(1902年)、鳥島の火山が爆発するまでその作業は営々と続けられます。15年間に殺戮されたアホウドリは、少なく見積もっても300万羽。ジョン万次郎が漂着した天保12年(1841年)当時、おそらく数100万羽いたものと推測されます。火山から出る硫黄採取の作業は、更に生息環境を劣悪化させます。こうして第二次世界戦争後、昭和24年(1949年)アメリカの研究者、オースチン博士が当地を訪れ調査した際の結論は、「アホウドリの絶滅」宣言だったのです。100年間で数100万羽を殺戮し、絶滅においやり、鳥島を屠殺場に変えたヒトの馬鹿さ加減にはあきれることを通り過ぎたむなしさやかなしさを禁じ得ません。

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アホウドリが鳥島周辺で数100万羽を数えたであろう頃、その繁殖地は小笠原諸島、大東諸島、尖閣列島、そして台湾周辺の島々にまで広がっていたものと伝えられています。その当時には、コアホウドリやクロアシアホウドリはおそらく非常にマイナーな存在であったことでしょう。今日、アホウドリの復活のための懸命の努力が鳥類保護、環境保護の団体や研究者によって進められています。その尽力は、アホウドリに限らず、コアホウドリやクロアシアホウドリにも及ぶことは間違いありません。アホウドリの名前は、この稀代の海の王者を阿呆と呼んだ日本人のアホさ加減を記憶し、末代まで伝えるべきものとして、長く歴史に残すべきでしょう。

 

 

 

 

 

注)写真は、画像上をクリックすると拡大できます。

 

       


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