姿を見たことはない方でも、ほとんどの方がこの鳥のけたたましい鳴き声は耳にされたことがあるでしょう。「ちょと来いちょっと来い」と聞きなしされる囀りの主、コジュケイをご紹介しましょう。コジュケイの声のサイトは多いのですが、一つだけご紹介します。http://www.youtube.com/watch?v=IJIy6BaBJK8
この声が「ちょっと来い」ですが、英語圏の人には「People pray」と聞こえるようです。なんとなくこれもうなずけます。
多くの図鑑で、コジュケイが大正7年(1918)に狩猟対象の鳥として、中国から持ち込まれ、東京都と神奈川県で放鳥され、日本の環境になじみ降雪地域を除く日本全土の各地に住み着いたと説明されています。日本古来からの在来種でないことは間違いないようですが、大正期以前、少なくとも江戸時代には長崎を経由してしばしば中国(清)から持ち込まれていたようです。ただ爆発的な増加を見せたのは大正期以降であることは間違いないようです。残念ながら大正期に持ち込まれた経過、その数は、今の段階で把握できておりません。
中国名は、灰胸竹鶏。胸の部分の灰色が目立ち、竹林に潜むことからつけられたのでしょう。江戸時代、長崎に持ち込まれた「もの」は、江戸にリストを付け送付されたようですが、その時のコジュケイの絵につけられた名称は「竹鶏(ちくけい)」。おそらく中国名をそのまま採用したのでしょう。和名の由来は、「鳥の名前」(大橋弘一、東京書籍)にこう説明されています。「綬は古代中国の役人の服につけた飾り紐のこと。綬鶏の仲間は繁殖期に喉の肉垂が目立つのでそれを飾り紐に見立てたもの。小型の綬鶏の意。」
さて、ちょっと外見を見ただけでは雌雄の区別がつけがたいコジュケイですが、意外に簡単に性別は分かります。上の写真(埼玉県北本市)は、珍しく木の幹にとまったコジュケイですが、脚の部分をご覧ください。足指(趾)の上にとげ状の突起があります。これは蹴爪(けづめ)と呼ばれ、キジやニワトリのオスにもある、器官です。つまり蹴爪があればオスということができるのです。この蹴爪は、争いの時に相手に致命傷を負わせる武器として機能しているようです。闘鶏で有名なシャモ(軍鶏)は、それこそ鋭い蹴爪を持っていますが、闘鶏の際にはその蹴爪で死傷させることがないように先端を削るといわれています。
コジュケイは、日本では狩猟対象として持ち込まれた歴史を持つからでしょうか、非常に警戒心が強く、なかなか姿を現さないといわれています。しかし、タイトルの写真と、この下の写真(埼玉県さいたま市)は、いずれもかなり近くで撮影したものです。おそらく都市部の公園などで生息するコジュケイは、狩猟対象として追われる危険性がなかったことから、ヒトへの警戒心がなくなってきているのかもしれません。さて下の写真は、コジュケイの番(つがい)ですが、どちらがオスか、脚の部分をよくご覧ください。右側の個体の右脚に蹴爪が見えます。左の個体にはありません。左側がメスで右がオスということです。
コジュケイは、大正期以降の新たな日本の野鳥ですので、古い記紀万葉にその記載はありません。北原白秋は、「小綬鶏のこち来いと呼ぶ日あたりは何か黄葉(もみ)でて雑木々の原」と観察しています。人里近くに大きな声で自己主張するせいでしょう、春の季語として、多くの俳句も詠まれています。
一羽きて一羽を追うて小綬鶏は 赤川 楓
朝早く、人の歩く道を、親の番と雛たちのコジュケイが早足で歩く様が眼に浮かぶようです。
小綬鶏の筍堀りをおどろかす 沿道 正年
静かな春の早朝。けたたましいコジュケイの声で筍を掘る手もとまったようです。
けたたましくなくコジュケイの声を近くで聞かれたら、しばらくそっと待ってみてください。ひょっとしたら番のコジュケイが以外と近くに現れるかもしれません。
(注)写真は、画面上をクリックすると拡大できます。