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第29回 2004/11/01
野性のしらべ
29

書名:野性のしらべ
著者:エレーヌ・グリモー
翻訳:北代美和子
出版社:ランダムハウス講談社
出版年月日:2004年5月11日
ISBN:4−270−00016−3
価格:1,700円(税別)
http://www.randomhouse-kodansha.co.jp/books/details.php?id=44

この本を手に取るまで、残念ながらこの若きフランス人「天才ピアニスト」、エレーヌ・グリモーの弾くピアノ曲を耳にする機会はなかった。15歳にしてパリ国立高等音楽院を主席卒業し(入学したのは13歳)、日本コロムビア / デノンでラフマニノフを初CDリリースした経歴はまず尋常ではありません。私たちはなかなか音楽演奏家が自身の演奏や、作曲家、そして指揮者をどのように考えているのかを生の声で聞くことは少ないように思われます。よくTVのインタビュー形式の番組の中でその都度の演奏家の簡単なコメントや、感想には触れられるのですが、いずれも視聴者を意識した番組制作者の意図する方向に沿って語られているかのような疑いを抱いてしまいます。しかしこの著者は、そのような外部の自分に対する媚や非難、中傷を斟酌することなく、時としてあまりにも感情的に自分の本音をさらけ出しているといいきれます。

ショパンについてこう語ります。

「私はショパンの音楽を、何よりもまず左手をピアノへと開放した熟練の技をかぎりなく愛する。この『右手の召使』はショパンによって生命を見出し、解放され、自分を認めさせた。ショパンは両手使いの音楽を創造した<中略>ショパンのあと、リスト、スクリャーピン、ラヴェル、フォーレがそこに殺到した。」

左手使いのグリモーにとって、演奏技法上、ショパンは本格的なピアノ奏者となっていく自身の育ての親ともいえるのかもしれません。15歳になった彼女は、ラフマニノフに音楽的人生を見出していきます。

「ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第二番』を弾くこと、それは『存在する』こと、告白の手紙を書くこと、霊妙なる響きの中で自分の全てを語ることだった・・・・・。それは私を見ていない人に、私を差し出すことだった。」

モスクワのチャイコフスキー・コンクールでの挫折の後、彼女のブラームスへの傾注が、国立音楽院から、演奏家としての独立を促進していきます。

「ブラームスの音楽がひとつの音、また次の音と語りつないでいくもの、よけいな一切を意図してそぎ落とし、いちばん大切なものだけに捧げられた人生をわたしは心の底から愛した。ブラームスの音楽は、この待ち望まれた旅人、つねに同じ旅人、つねにもうひとりの旅人の物語でなくて、いったいなんだろう?<中略>その激しい性格、苦悩、怒り、悲痛な思い、そしてその世界との関係を私は愛した。」

独立し、欧州から北米、そして日本へと演奏旅行を重ねるプロフェッショナルなピアノ奏者となった彼女は、その本拠地をアメリカ合衆国フロリダに見出す。高まる名声とは無関係に深まる孤独感は、天才の通り抜けるべき義務であったのであろうか。しかしこの地で彼女は狼を見出す。一切の妥協を許さず、対立する存在に媚を売ることもなく、孤立を恐れずなおかつ社会的生活を誇り高い精神で維持する野生の狼の生き方の中に、初めてこの傷つきやすい天才ピアニストは心の安らぎを仲間意識の中に感じるようになります。

この著作の最初から、文脈の中にしばしば、突然のようにオオカミが欧州文化の中でどのように取り扱われ、意識されてきたのかが述べられる。それらは、終章になって詳細される、野生の狼との出会いとそれを保護、飼育しようとする彼女の戦いに対しての、かなり意図的なプレリュードであることが判ります。終始圧倒される著者の熱い魂の噴出が随所にあらわれます。数日のうちにでも彼女のCDを聞かなければなるまいと思わせる著作です。