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第26回 2004/08/01
人間はどこまで動物か
26

書名:人間はどこまで動物か
著者:日高敏隆
出版社:新潮社
出版年月日:2004年5月20日
ISBN:4−10−451002−5
価格:1,300円(税別)
http://shinchosha.co.jp/cgi-bin/webfind3.cfm?ISBN:=451002-5

現在、総合地球環境額研究所所長に就いている、「動物行動学の第一人者」(本書の広告帯より)である著者のエッセイ集です。明治以降の学問的泰斗の一人と尊敬する、南方熊楠氏の名を冠した「南方熊楠賞」を受賞したとさりげなく述べているだけで(「モンシロチョウとアゲハチョウ」の編)、研究成果の高さと、決しておごってはいないであろう謙虚な性格がうかがえます。全部で40編からなる筆者の身の回りの動植物、研究環境を独特の切り口で、肩をいからすことなく自然体で書き下しています。この本のタイトル、「人間はどこまで動物か」は、この40編の中の1編です。タイトルから予測されるような、この問題自体を全体として科学的に掘り下げるといった性格の著作ではありません。それぞれの編ごとに、動植物の生態について、そこまでは知らなかったことがいかに多くあるのかを、判りやすく教えてくれる自然環境の入門書ともなりえるでしょう。

著者が、「外来生物」で声高にではなく、むしろ静かに外来生物による環境破壊に注意を喚起する姿勢には、強い共感を覚えます。島国日本は、明治維新の「門戸開放」を機に、人々の交流が一気に拡大化しました。それに伴い、意識的にであるか、無意識的にであるかを問わず、それまでの日本の全史を上回る勢いで、外来の動物、植物がなだれ込みました。新たな環境に適応できたそれぞれの生き物は、生息環境を同じくする従来の固有種を、あるときは絶滅に追い込む勢いで勢力を伸張させている現実があります。

筆者はその一例として、食用ガエルと呼ばれるウシガエル、アメリカザリガニ、ブラックバス、ブルーギル、アメリカシロヒトリ、オオマツヨイグサ、セイタカアワダチソウを挙げます。既に移入されてしまった外来動植物に加え、昨今では「輸入自由化」政策の下で、数多くの昆虫、爬虫類、両生類、鳥類が無原則に購入、販売されています。夏休み、児童の昆虫採集に、世界最大のカブトムシ、ヘルクレスオオカブトムシ(南米コスタリカ産)がその一部を占めることさえ可能な事態がすぐそこにあります。植物に至っては、園芸種の乱造がこれに輪をかけて問題を大きくしています。「こんなことはもう止めるべきである」と嘆くのは筆者だけではないはずです。

さてこの本のタイトルとしても選ばれた、「人間はどこまで動物か」の編に著者の動物生態学者としての基本的な姿勢を見ることができます。人間は知能あるものとして、そのほかの哺乳動物と一線を画してきたと従来考えられてきました。しかし動物の行動生態が明らかになるにつれ、その知能の重要な表現とされた道具の使用、そして道具自体の創造さえ実現していることが明らかになってきます。こうして、動物界の全能の主であるべき人間は、その下位にあるべき哺乳動物との境界線をより高く引こうと、「人間はどこまで動物か」を問うようになります。

著者は、動物としてのヒトとより下位にあるべきそれ以外の動物を、懸命にひとつのものさしで図る姿勢に疑問を呈しているのです。それぞれの動物のDNAの螺旋構造と構成要素が明らかになり、それらとヒトとの類似性が次々に判明するにつれ、こうした質問は今後一層多く発せられるとも思えます。ヒトがどれだけそのほかの動物に対して優れているのかを問うこと自体が、既に人間のおごりだともいえます。筆者は語ります。「動物行動学の研究が示してくれたのは、どの動物もそれぞれの個体が自分自身の子孫をできるだけたくさん後代に残そうとしていることは同じだが、そのやり方は種によってまったく違うということである。」筆者、日高敏隆氏の動物生態学での基本姿勢は、『動物と人間の世界認識』(筑摩書房、1,600円、2003年12月10日)より明瞭に記されています。合わせてお読みになることをお勧めします。