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第09回 2003/02/03
「演歌」のススメ
09

書名:「演歌」のススメ
著者:藍川由美
出版社:文春新書
出版年月日:2002年10月20日初版
ISBN:4−16−660282−9
価格:680円
http://www.bunshun.co.jp/book_db/6/60/28/9784166602827.shtml

多くの音楽ファンにとっては、ちょっとドッキリするようなタイトルに惹かれて購入。これがなんとも、大まじめな音楽科学(という言葉があるかどうかは不明だが)的なアプローチによる、現代日本音楽文化、若しくは日本における音楽の一般的な土壌にたいする批判として展開されている。

著者は、日本における音楽の権威である、東京芸術大学大学院を卒業した、ソプラノ歌手。恥ずかしながら、小生にとっては初めて目にしたその名前であったが、日本における音楽史を彩った様々な作曲家、作詞家、及び音曲そのものについての著作も多い、才媛のようである。

まず、タイトルで語られる「演歌」についての定義付けが必要だろう。著者は、『明治文化史9 音楽演藝編』のなかから、野村光一著の部分を引用する。

 

1882年(明治15年)頃官僚政治への反抗、国会開設への人民参政権を目的とする自由民権運動が起こった時、政治運動を起こすものが民間に多くあらわれ、その中から壮士と称するものが生まれて、政治に対する不平不満を述べた風刺的な『ダイナマイト節』などという歌などを街頭で歌い出した。それを称して『自由演歌』といった。これが後年の演歌師の起源である。---しかしこの種の殺伐な歌はつねに歌詞も節廻しも同じで、単純粗野であったために、やがて飽きられる時がきた。かつまた日清戦争が終わって世の中が---平和になるとともに、歌にもなごやかな優美な節廻しが要求された。

とくにのち1904〜5年(明治37〜8年)の日露戦争時代にあらわれた、ヴァイオリンをひきながら男女の情事などをなまめかしい旋律で歌う演歌に変わる原因をなしたのである。

これについで、著者は、この演歌師の日本全国津々浦々に歌い広めるという仕事が、大正初期に始まったラジオ放送、昭和初期のレコードが電気吹込みといった大衆化のなかで、「そこに登場してきた古賀政男が、明治以来のヨナ抜き音階に、仏教声明の日本化によって生まれた歌唱法を取り入れたことで、日本の歌の、一つの頂点としての『演歌』スタイルが完成した」と把握する。

即ち、古賀によって創り上げられた「演歌」とは、「異文化を自国の伝統と融和させて伝承するというわが民族の特性」に則って、様々な音楽の要素を取り入れつつ、日本的な美感に適った音楽様式と理解するのである。従って、安易な歌唱法、安直な編曲、単調なリズムに乗っただけの、今日的な歌曲の多くを演歌と呼ぶことに躊躇いと憤りをもっているようだ。いわく、音楽的美意識を喪失してしまっているが故に、近年の演歌の衰退があるとみるのである。

さてこうした演歌は、日本の文化的美意識の一形式であり、西洋からもたらされたクラシック音楽と比肩すべきものであり、決してその下位に卑下されるべきものではないと主張される。クラシック音楽出身の著者の広い視野と、寛容な平衡感覚の鋭さが随所に見て取れる。

クラシック音楽、演歌、ジャズ、ロックと多岐多様に花開いた音楽表現の形式は、それを文化的歴史的に公平に見るとき、いずれを上位、下位におく関係ではないこと。そのことを、クラッシックと演歌との関係に歴史的にメスを入れることにより論じていく。明治維新以降の、官僚による音楽教育への基本スタンスの過ち、つまりあまりにも自己卑下的な西洋至上主義こそが、いつのまにか、高尚なクラシック音楽と、卑俗な大衆的演歌との対比としてイメージさせるに至った今日の元凶であると断罪しているのである。この著作を通して、「本居長世」の日本音楽史における役割の重要さ、「野口雨情・中山晋平」の組合せに対する、「北原白秋・山田耕作」の組合せの冷静な対比、その性格の違いの分析は、大いに学ぶべきものがあった。

この著作者の別の著作に非常に興味がわく以上に、彼女のコンサートが開催されれば是非足を運びたいと思わせる一冊であった。音楽愛好家、とりわけクラシック愛好家にとって、一度手にとって見る価値のある、ユニークな著作であることを最後に付け加えたい。