White
White CEC LOGO HOME 製品 テクノロジー サービス 会社概要 コラム メール English White
White

ホーム/コラム/みだれ観照記/海の彼方の国へ

第06回 2002/06/22
海の彼方の国へ
06

書名:海の彼方の国へ
著者:呉善花(おそんふぁ)
出版社:PHP研究所
出版年月日:2002年4月30日第1版
ISBN:4−569−62086−8
価格:1,400円
http://www.php.co.jp/bookstore/

『スカートの風』で脚光を浴びた、在日韓国人研究者による執筆。副題は、「日本をめざす韓国・済州島の女たち」。済州島という副題に惹かれ、搭乗前の成田空港内の書店にて購入した。筆の流れの流暢さに、機内で一気に読破できた。

韓国本土(半島)に住む多くの人々にとって、「光復」以降の戦後史に決して忘れ去ることのできない悲惨な爪あとを残した内部対立の悲劇が、1950年6月25日(6.25を下し読みしてユギオーと語られる)に始まる朝鮮戦争(〜1953)であったとすれば、済州島・島民にとってのそれは、1948年4月3日に8万人の虐殺をもって幕を閉じさせられた済州島四・三事件であった。この虐殺を伴う一連の経過に、冷酷にまた、自虐的に鋭くメスを入れた大作が、金石範の描いた『火山島』(文藝春秋)であった。

1910年以降支配され、それ故に「民族の誇り」を辱められてきた韓国・朝鮮人にとって憎しみの対象でしかありえない日本に、一旦は独立したはずの自らが、その内部の反目と対立により、救済とその後の生存を求めざるを得なかった悲劇がここに存在する。

本書の中にも、済州島民の一部がなぜに4.3以降日本に渡らざるを得なかったのかが、後半の一部に控えめに記されている。だが本書の趣旨は、済州島民の蒙った戦後の悲劇をなぞる事にではなく、それ以前もそれ以降も一貫して「強く」ありつづけることのできた「済州島の女たち」、それも典型的な女性の職業である海女の生きざまにスポットライトを当て、半島の人々との文化的な違い、また、日本との社会的な関係を、平易な文体の中にくっきりと浮かび上がらせ、もってこうした女性たちの社会的な存在価値を描くことに成功している。

多くの人々が指摘するように、歴史的な超大国中国は、近隣の諸国を睥睨するにあたり、男尊女卑を前提とするさまざまな倫理観を、孔孟思想を源流とした、所謂朱子学と後年呼ばれた汎宗教的国家主義で、自国、他国の民を精神的に拘束、専制的な国家支配の支柱としてきた。この基本的な理念が、家族的血縁中心主義を男性崇拝によって貫く生活習慣が今もって最も色濃く残っているのが韓国であり、また、「共産主義国」北朝鮮であるといわれている。その意味でかつての宗主国中国には、そうした古い倫理観の片鱗も残っているようには見えないのは、何とした歴史のアイロニーであろうか。

済州島の女たちも、半島の女たちとかわらずこの男性中心主義には拘束されつづけている。男を立て、主婦としては男の子を産むことを事実上強制される。むしろ、半島以上にこの島の女たちは、男に頼ることをせず全て自分で生活を取り仕切る。鶏の鳴くよりも早い時刻から起きだし、畑仕事、その後朝食の準備、後片付け、子供の世話、そして海女としての海での労働、他家を含めた伝統的なチェサの準備(女は直接祭礼には参加はできないが準備は全て女の仕事)、等々。こうして、一日3時間の睡眠しかとれない、それにもかかわらず決してめげない、強固な女性像がここでは生き生きと語られていく。

沖縄が、かつて島津藩に事実上接収されるまでは、独立した琉球王国であったように、この済州島も、三韓時代(百済、新羅、高句麗)には独立国であった。李王朝時代に、半島の流刑地として次第に半島より見下される運命を担い始める。だが、島の民には共通して、海のもたらしたであろうその独特のおおらかさ、力強さ、したたかさを秘めている。半島の島の人々が「韓国のハワイ」と呼び、未だに新婚旅行先の一大メッカともなっている。「韓国のハワイ」に表面的な綺麗さを求めて出掛ける前に、是非この本を一読すると良い。そこで生活する人々の息吹、その源の一端を垣間見ることができるに違いない。とりわけ、第3章での「村中が沸き返るワカメ刈り」は、臨場感溢れる描写があたかもすばらしい映画を見るようである。