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第055回 2007/08/20
”アナーキスト集団”ピストルズと”鉄の女”サッチャー

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英ヴァージン  V2086  CD 日VJCP‐3215
セックス・ピストルズ『勝手にしやがれ!!(NEVER MIND THE BOLLOCKS)』

さらばベルリンの壁/お前は売女/分かってたまるか/ライアー/ゴット・セイヴ・ザ・クィーン/怒りの日/セヴンティーン/アナーキー・イン・ザ・UK/サブ・ミッション/プリティ・ヴェイカント/ニューヨーク/拝啓EMI殿 計12曲

(発売:1977年10月 )


 1970年代の英国。69年以降、アイルランド紛争による相次ぐテロの危機とともに、第2次大戦後、止まることを知らない慢性的な経済不況下、とくに73年以降は、主に生産性の停滞によるインフレと失業問題は一層深刻度を増しつつ、更に国家財政と財源不足の福祉政策は破綻寸前の状態に追い込まれていた。
 こうした閉塞感の中で、60年代には、あれほど若者の心を掴んで離さなかったロック音楽も多極化しつつ、エンターテインメントの1つとして商業化への道を辿っていた。こうして受け皿を失って怒りのやり場のない若者たちのフラストレーションはその極に達しつつあった・・・。そんな中、何時も持ち上がるのは英国内に厳然と存在する階級制度と王制への反発である。やがて若者たちの間に澎湃(ほうはい)として起こったのが、社会現象としてのパンク・ムーヴメントだった。
 仕掛人は、当時、ロンドンのキングスロード430番地で「セックス」という名のブティックを経営していたマルコム・マクラーレンだといわれる。1946年、ロンドンの生れ。クロイドン・アート・カレッジ出身。75年、ニューヨークで、パンクのルーツともいわれるNYドールズのマネージャーを務めた後、ロンドンに戻り、同様のパンク・バンドの結成を意図する。そこで目に付けたのが、以前より店に出入りしていた特異なキャラクターの持ち主ジョニー・ロットンだった。バンド名もマルコムによって「セックス・ピストルズ」と名付けられ、最終メンバーは、ロットン(vo)、シド・ヴィシャス(b)、スティーヴ・ジョーンズ(g)、ポール・クック(ds)に決まった。何れも当時英国では最下層といわれたチェルシー地区に住む労働者階級の出身である。
 このグループは、「ロックは死んだ」として従来のロックを徹底的に糾弾しながら、75年11月に初ライブを敢行する。
 ライブ活動を通して、強烈な社会告発やリアルな不満をダイレクトにぶつける歌詞や爆音のようなサウンド、扇情的なステージ・アクションによって、翌76年に入るやロンドンでは急速にパンク・ブームが浸透していく。もの凄い動員数にも拘らず、その度に巻き起こる暴動や器物破壊、やがてテレビに出演しても相次ぐ過激な発言による出演中止、10月にレコード会社EMIと初めて契約し、11月に「アナーキー・イン・ザ・UK」でレコード・デビューするが、僅か一月で放送禁止となりEMIによる契約破棄。しかし、それにもかかわらず、このシングルは、全英ヒット・チャートで2位にまで上昇した。
 77年、EMIに代わってA&Mと契約するが、ここも契約撤回。次いでヴァージン・レコードから漸く彼らの初アルバム「勝手にしやがれ」が発売となる。これまた直ちにテレビとラジオでは放送禁止になったが、ヒット・チャートでは見事1位となった。このころが、このグループの頂点であり、結局、このアルバムが、彼らが残した唯一のオリジナル・アルバムとなった。
 音楽的には、シンプルなビート中心で、さしたる特徴があったとは思えないが、理屈なんかなく喧噪極まりないノイズをバックに、刺激的な言葉が若者たちを目がけてストレートかつエネルギッシュにガンガン発砲された。同時に ファッション面でも鎖や安全ピンを光らせた異様なパンク・ファッションを生み出し、70年代後半、若者の間では最大の風俗ムーヴメントとなっていく。ファッションの発信源は、勿論、マネージャー、マルコムのロンドンの店だった。

 ということで、今回は、この歴史的アルバム「勝手にしやがれ!!」を取り上げてみたい。
 先ずは、趣向を変えてジャケットから。いろいろな意味で有名なジャケットであるが、一見、文字だけが並んだ何の変哲もない極く平凡なジャケットに見える。アート・ディレクションは、ピストルズのマネージャー、マルコム・マクラーレンによるものだが、実際にデザインしたのはジェイミー・リード。マルコム同様、1946年生まれ。彼もクロイドン・アートの出身で、親しい友人の一人だった。
黄色地に 上方3分の1に字体を変えて2段抜きで「NEVER MIND THE BOLLOCKS」、ど真ん中に小さく「 HERE'S 」とあって下半分に目立つようなピンクの黄抜きで大きく「THE SEX PISTOLS」。それだけである。
 そのまま直訳すると「気にするな!下らんことには。俺たちはセックス・ピストルだー」といった意味になるのだろう。
 この「セックス・ピストル」というバンド名も中々意味深だが、いきなり裁判所で問題になったのは、「ザ・バロックス(THE BALLOCKS)」の方だった。日本語にするのも憚れるが、本来は「睾丸」(従って複数)という意味だが、転じて「下らないこと」となる。(何故、下らないことなのか筆者には良くわからないが、アメリカでは BULLSHITとか BULLと同義)
 ともかく、このザ・バロックスという言葉が卑猥かつ不愉快との理由でアルバムは販売停止となり、アート・ディレクターのマルコムに対しノッティンガム裁判所へ出頭命令があった。ヴァージン社長ブランスンやデザイナー、ジェイミーも説明に出かけて最終的には晴れて問題なしということになった。
 何かとあちこちで信じられないような騒動ばかり起こしているこのグループにとって、この程度であれば、さしたる問題のうちには入るまい。
 ちなみに、何故、この文句がアルバム・タイトルになったか、マルコムによれば、こうである。彼は、ギタリストのスティーヴに一応相談する。「揉めにもめたが漸くヴァージンとの契約に漕ぎ着けた。さて、どんなアルバム・デザインにするか?俺たちは未だアルバム・タイトルすら決めてないんだ」そのときステイーヴ「気にするな!そんな下らんこと」この答えが、そのままタイトルになった。
 そして、何よりもこのアルバム、挑発的な曲名とその歌詞には恐れ入ってしまう。例えば、

 
「アナーキー・イン・ザ・UK」(第2節)
アナーキズムを英国に  きっといつかそんな時がくる
メチャクチャにするぜ  交通を遮断してやる
買い物の計画だけが  お前のこれからの夢
俺はアナーキストになりたいんだ  この街で

 
「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」(最終節)
女王様 万歳!   本気でそう思ってる  お先真っ暗だぜ  夢見る英国は
お前はお先真っ暗、未来なんて無い  俺もお先真っ暗、未来なんて無い
お前はお先真っ暗、未来なんて無い  ノー・フューチャーだぜ
             (以上 三宅 和浩 訳  日本版CD所収)

 こういう内容では、直ちに放送禁止になるのも、当然ではあろう。

 翌78年に このグループに早や崩壊が始まる。年明け早々、初めてのアメリカ・ツアーに出かけたピストルズは、1月14日のサンフランシスコ公演で、ロットンが脱退表明をして、グループは事実上解散となった。正に自爆以外の何ものでもなかった。10月には、シド・ヴィシャスが恋人のナンシー・スパンゲン殺人容疑で逮捕され、保釈直後、麻薬のオーヴァー・ドーズであっけなく死去してしまう。
 結成以来、僅か2年ほどの活動期間を経てこのグループは脆くも空中分解してしまうが、この間、英国の音楽業界に、1大センセーションを巻き起こしたことだけは確かであり、その影響も絶大だった。無数の追随・亜流バンドを生んだが、ザ・ダムド、クラッシュ、ザ・ジャム、ストラングラーズ、ポリス、ジ・オンリー・ワンズ、ザ・メスカレロスなどが第一線だった。これらパンクの嵐は、70年後半にかけて吹き荒れたが、79年を境に急速に下火となっていく。台風一過、この嵐が過ぎ去った後には、その落とし子のように「ニュー・ウェイブ」というレゲェやファンク、民族音楽を取り込んだ一派が生まれ、やがて時代は「ニュー・ウェイブ」一色になっていった。 

 ピストルズが解体した翌79年5月、英国の難局解決のために強面で登場したのが、「鉄の女」と呼ばれた英国最初の女性宰相サッチャーだった。彼女はまず大幅利上げをして、公約であるインフレを抑制すると共に、新自由主義を掲げて、国営企業の民営化、規制緩和、金融改革、税制の改正(所得税と法人税の減税と消費税の増税)など「小さな政府」にするための具体策を次々と実行に移したが、その直後には失業者が300万人にも膨れ上がってしまう。結局、一応の成功をみて英国経済がほぼ正常に戻ったのは、漸く1986年になってからだった。サッチャーが引退したのは、それから4年後の1990年のことである。
 波乱と安定の長期政権サッチャー時代は、ロックでは「パンク」から「ニュー・ウェイブ」への時期と一致するが、英国の沈滞ムードを打破したということでは、ピストルズも同様であり、その意味では何れも「救世主」といってもよい。ただ残念と言おうか、強硬派サッチャーが登場したときに、もはやこの特異なグループは存在せず、結局、この双方が相対しガチンコするチャンスは終になかったのである。

 このコラムの最後を、今やジョン・ライドンと変名して、心機一転、PIL(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成、ポップの世界を生きているロットンの言葉で締めくくりたい。
「ロック’ン’ロールは終わった。ピストルズがロック’ン’ロールを終わらせた。彼らが、最後のロック’ン’ロール・バンドとなった」(1986)。