第54回 2006/05/01 |
ユリカモメ |
東京都のシンボル鳥、ユリカモメです。ユーラシア大陸北部で繁殖し、冬になると日本各地に渡ってくる、普通に見ることのできるカモメです。大きさはカラスより少し小さく、秋の深まりとともに次第に数を増し、梅雨の始まりとともに北部に戻っていきます。カモメの仲間として数多い、ウミネコやカモメ、セグロカモメなどと比較しますと大きさが一回り小さく、脚と嘴がはっきりと赤いので(他の仲間は、脚が黄色味を帯びたり薄いピンク色だったりして、嘴は黄色です)、区別は容易なはずです。 海岸部だけでなく、平野部の河川にまで飛来します。私の住んでいるさいたま市近辺の小さな川でも正月明けによく見かけることができます。このカモメの楽しさは、冬は頭部が真っ白であるのに対して、夏場は真っ黒に変化することです。夏羽に換わった頭部は全体が黒いのに対して、眼の周りの白さがくっきりと際立ち、意図的にお化粧したようで、ちょっとユーモラスにも見えます。他方、冬羽では、白い頭部の眼の後方に黒っぽい班が入り、眉毛がずれたかのようにも見えます。私の目には夏羽、冬羽ともスマートな体形と面白みを持った顔のアンバランスがとても魅力的に見えます。 今の時期には、丁度黒く変化しつつある個体と、まだ冬の白いままの個体が混ざり合い、早めに夏への衣装換えする気の早い個体と、冬の衣のままののんびり屋さんがいるようで、ほほえましくなります。写真下左は、頭部の黒い夏羽で、トップの写真は、頭部の白い冬羽です。 今では、多くの人が、ユリカモメが昔はミヤコドリと呼ばれたことを知っています。古典に表現されたミヤコドリがユリカモメであることを最初に明言したのは、熊谷三郎(明治29年、1896年〜昭和29年、1954年)という稀有な野鳥研究家であったことが、このシリーズ第19回の「ミヤコドリ」でも紹介した松田道生氏(日本野鳥の会の指導的な一員であり、「大江戸花鳥風月名所めぐり」などの著者)のサイトに詳細されています。下記サイトを是非ご覧になってください。 上記URLで「鳥の道くさ」のトップに、そこから「鳥しるべ」にすすみ、「演目」の下部にある「埋もれた鳥類学者・熊谷三郎をたずねて」で到着です。熊谷三郎氏の野鳥研究の執念に脱帽の感をつよくさせる著述です。 さて、冒頭に、ユリカモメは他のカモメとの対比が容易であることを述べましたが、唯一夏羽時には、ズグロカモメという、同じように頭部が黒くなる似通った種類のカモメがいました。ズグロカモメはそれほど多く見かけることはないのですが、まず嘴が黒いこと(ユリカモメは濃い赤です)、頭部がかなり丸みを帯びていること、頸が短いこと、全体として小さいことが相違点でしょうか。スマートな感じのユリカモメに対して、ちょっとズングリムックリした感じがズグロカモメです。上の写真の右側がズグロカモメです。 「ミヤコドリ」の項でも紹介しましたように、在原業平が主人公とされる「伊勢物語」で歌われた、「名にし負はば いざ言とはむ宮こ鳥 わが思ふ人はありやなしやと」はあまりにも有名ですが、ミヤコドリことユリカモメは、この他にも多く歌われ、また著述されています。 枕草子によりますと、
として、風情ある鳥のひとつに挙げられています。また、十六夜日記にはこう書かれています。
伊勢物語を意識した作者、阿仏尼が京から鎌倉への道中記を記したものですが、この「浦」とはどの辺りだったでしょうか。沖縄から北海道までの広域に冬飛来するユリカモメですからどこの浦で見えたとしても不思議ではありません。 島崎藤村も、かの「若菜集」でこう歌っています。
俳句の世界では、全ての都鳥はユリカモメのこととして扱われています。ユリカモメもミヤコドリも冬の季語です。
さて最後になりましたが、かつてのミヤコドリ、今のユリカモメの語源は、といいますとこれがなかなか困難で、唯一、「鳥の名前」(大橋弘一+Naturally: 東京書籍)に次のように説明されています。「入り江かもめ」が転じた、または内陸部まで飛来することから、奥地を意味するユリから派生したと。いずれも出典が述べられていません。私の偏見では、ユリの花(テッポウユリ)のように白い冬羽から、このように呼ばれるようになったのではないかと手前勝手に推測していますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。最後に、集団で飛翔する冬羽のユリカモメです。
注:写真は、画像上をクリックすると拡大します。 |