ウグイスの鳴き声を、今日のように「ホーホケキョ」と聞き為されたのは、既に江戸時代には定まっていたようです。
信濃なる鶯も法ほけ経哉 小林一茶(七番日記) |
万葉集や古今集にも出てくるウグイス(万葉集で51首、古今集で27首といわれています)。そこでは、「うくひす」(宇具比須、于具比須)と表記されています。その当時の「う」は、どうも「ふ」と発音され、「ひす」は「ぴちゅ」と発音されていたようで、「フーク・ピチュ」と聞き為したとすれば、何となく納得できそうです。
秋から初春までの寒い期間には、意外と人里まで近寄ります。この間は、囀りはせず、地鳴きのみ。枯れたブッシュ状の草むらや竹やぶにいて、「ジャッジャッ(人により「チャッチャッ」と聞き為しますが)」と地味な二連声で鳴き、目立つ場所には出てきません。これを「笹鳴き」というようです。(冬の期間、同じような場所にいるカシラダカやアオジは、二連声ではなく、「チャッ」と単声です。またホオジロは、二連声以上で地鳴きしますが、必ずしも二連声でないことと、声に濁りがありません)
早春になり、初めて「ホーホケキョ」と鳴く「囀り」を楽しむことができることから、この鳥に「春鳥、春鳥子」の漢字を当てる人もいるようです。囀りの最中の雄は、竹薮等の中から次第に上に上にとテンションの高まりとともに登って来ることもあります。また、飛びながら連続的に鳴く、ケキョケキョケキョの声を「谷渡り」と呼んでいます。
東京23区内の山手線の駅、鶯谷は、この地域がウグイスの鳴き声のよく聞こえることから付けられたようです(2月28日毎日新聞・夕刊)
やよかにも御鶯よ寛永寺 小林一茶(七番日記)
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(注)寛永寺は、JR山手線鶯谷駅から徒歩2分のところにあり、三代家光の時代に天海僧正によって建立された。
鳥見に熱心な方以外には、意外と思われるかもしれませんが、ウグイスの色は、所謂「うぐいす餅」に代表される、明るい緑色ではありません。 むしろ遠くから見ると全体としては灰色っぽく見え、よく見ると背中はオリーブ色を帯びた茶褐色で、大変地味な色彩です。うぐいす餅の色は、むしろメジロの背中の色に極めて近いようです。
鶯の 初鳴き聞いて 春が来る 虚心 |
雑学的な話ですが、鶯の糞は古来和服の模様抜きやシミ抜きの薬品として珍重されたようで、そこから、江戸時代の歌舞伎役者達が、厚く塗った白粉の肌焼けをとるのに使用したようです。現在でも、無害な漂白美顔剤として愛用される向きもあるようです。
スズメより大きい固体がオス、小さい固体がメス。食虫性で、アオムシや毛虫、小昆虫を捕食し、オスのテリトリーの中(約半径200m)に複数のメスが営巣する一夫多妻性で、番いのパートナーは毎年交代するといわれています。また、よく比較されるホトトギス(枕草子の清少納言は、日中にしか鳴かないウグイスより、夜にも鳴くホトトギスに趣を感じていたようですが)からは、托卵され、仮親となることもあるようです。
丁度この時期、ウグイスの囀りが日本中で聴こえるはずです。春告げ鳥の声に耳を澄ませてみませんか。