「ライチョウ」を県の鳥に指定しているのは、富山県、長野県、岐阜県の三県です。県の鳥(木、花も同様です)の指定には、何の法律的な規制もありませんので、重複することも当然ありえます。面白いことに、ライチョウだけが日本アルプスを巡る三県にまたがって指定されているのです。ヤマドリ(秋田県、群馬県)、キジ(岩手県、岡山県)、ヒバリ(茨城県、熊本県)、ウグイス(山梨県、福岡県)、メジロ(大分県、和歌山県)のように、二県によって指定されている野鳥は、いずれも日本全国に分布しています。日本固有種であり、生息域が非常に限定的であるライチョウは、それを自県に生息させている県にとって、まさにシンボルである以上に、自身の誇りともいえる野鳥であるといえます。
著者、中村浩志氏は、日本鳥類学会の会長。同じ「山と渓谷社」から、同じ装丁で、2004年「蘇れ、ブッポウソウ」も出版しています。「蘇れ、ブッポウソウ」と、今回の「雷鳥が語りかけるもの」とで、共通した著者の研究のスタンスを見て取ることができます。まず、その研究、観察対象の生態に対する徹底したフィールドワークを基本としていること。そしてフィールドワークの結果得られたデーターを、地理的に判りやすいだけでなく、限定されているとはいえ時間の変化において把握しようとしていること、そのことによって生きた情報として対象を浮かび上がらせることに成功していることが挙げられます。
更に、研究対象となった野鳥たちがそこに生息する生物学的な意味にアプローチするだけでなく、そのことを通して垣間見ることのできる日本文化の特徴を考察する地点にまで踏み込んでいることに、大きな特徴があります。単なる研究論文的でないこの著作は、この分野にまったく興味を持たなかったり、興味を持っていてもこうした野鳥をまったく知らなかった読者へも、判りやすく語りかけ、この世界へ踏み込むことの文化的な意義を感じさせる、奥行きの深さを示してくれます。
ライチョウがどのような野鳥であり、いかに貴重な存在であるのかは、2章「高山に住む日本のライチョウ」から、7章「生息個体数は約三〇〇〇羽までに詳しく説明されています。何よりも、世界中に生息するライチョウの仲間の中で、日本種は、その最も南端に、それも高山に点在する貴重種であることは、広く認識されるべきでしょう。それ以上のライチョウの説明は、本文におまかせしましょう。
また日本のライチョウが、海外に生息するライチョウと異なり、まったくヒトを恐れないことに日本文化の特異性を見出せることが、第8章「ライチョウが人を恐れる西洋文化」から第9章「ライチョウが人を恐れない日本文化」に述べられています。この点は、私ならずとも、海外の野鳥研究者でさえ知られることのなかったことのようです。ここで日本のライチョウの特異なヒトとの関わりの実態と、日本文化の背景の一部が明らかにされています。
さらに、今日誰もが口にする環境問題がライチョウを巡ってどのような具体的な状況にあるのかが、10章「ライチョウ会議の発足」以降説明され、動物保護に関わる、決して単純ではない問題の提起がなされています。
「雷鳥が語りかけるもの」と、それ以前の「蘇れ、ブッポウソウ」及びそれ以外の著者の著作と、一線を画すると思われるのは、著者の野鳥研究者としての学生時代以来の長い生活に、恩師との葛藤を率直に述べることによって、一定の総括がなされていることです。研究者は、研究対象との葛藤の中で、科学的な筋道を探っていくのですが、その研究は、最終的に研究者個人が責任を負うにせよ、決して個人だけで進めることはできず、その協力者、助言者という人間関係を抜きには考えることはできません。この著作は、著作者が、鳥類研究の自分の歴史の中で、「ライチョウ」にたどり着いた経過を、研究生活の中での恩師との関係を再整理できた、研究史とも読み取れます。