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第42回 2005/12/01
大和朝廷の起源
42

書名:大和朝廷の起源 邪馬台国の東遷都神武東征伝承
著者:安本美典
発行所:勉誠出版(株)
出版年月日:2005年7月20日
ISBN:4−585−053424−05324−7
価格:3,360円(税込)
http://www.bensey.co.jp/book/1678.html

この11月13日、奈良文化財研究所・飛鳥藤原宮跡発掘調査部は、同県明日香村での甘樫丘(あまかしのおか)東麓遺跡発掘作業により、掘り出された建物の構造から推測して、それが『「日本書紀」に記載のある蘇我蝦夷・入鹿邸宅(谷(ハサマ)の宮門(ミカド))跡である可能性が高い』と発表しました。これを報じた新聞各紙は、あらためて「日本書紀」の記述内容の信憑性、とりわけ「大化改新」と呼ばれた、「乙巳の変」に関する歴史事件に一縷の光が射したかのような報道が目立ちました。

こうした報道を前にしますと、やはり第二次世界戦争後の日本史をめぐる研究者たちの基本的な立場が、または、はるか太古の日本の有史にかんする一般の人々の平均的な立場が、戦前の皇国史観を全面的に否定する津田左右吉の、「古事記」や「日本書紀」といった「帝紀」はまったくの造作であるとする観点(いわゆる津田史観)の束縛を必ずしも逃れていないことを実感します。

いうまでもなく、記紀の神話的説話の多くは、科学的に検証することが不可能なことがらが多く、それらをまったく言葉どおりに歴史的事実として理解するには無理があることはいうまでもありません。しかしトロイの遺跡とシュリーマンの関係を持ち出すまでもなく、神話的な表現を過去あったかもしれない事実の誇大な、若しくは誇張した表現として解釈し直して、なお現在確認されている事柄との整合性がどのようにとれるのかという観点をまったく排除する必要もないのではないでしょうか。

さて本書の著者は、結論的に、記紀に表された「神武東征伝承」は事実であるが、それは西暦紀元前660年2月11日(辛酉(シンユウ)革命説による初代神武天皇の即位年)のことではなく、はるかに時代を下がって、西暦280〜290年前後であろうと大胆に推論しています。それは、言葉どおりの東への征伐的侵攻であったことにとどまらず、北九州にあった邪馬台国(その神話的表現が高天の原)そのものの東への遷都でもあったと述べています。神武天皇の即位年は、日本書紀には記載があるが、古事記にはなんらの表記もない。著者はその点に触れ、古事記で表現された時代感覚が下敷きとなって日本書紀の断定的な表現が可能となっている関係にも説明を加えています。

この大胆な推論は決して思索的な推理の積み重ねでもたらされたものではなく、かなり具体的なデーターの照会と資料の分析によるものであることは本書を読めば一目瞭然です。筆者は、ここで「19世紀的文献批判学」の「科学的方法」に疑問を投げかけています。つまり、文献に表された個々の資料に批判的な検討を加え、その中から確実に信用できる資料のみを摘出する、「文献批判学」の立場に立つとき、確実性を立証できない事象をも含んで歴史の流れを把握しようとする際に、その「確実性」事態が主観的にならざるを得ないことを指摘しています。その例として、邪馬台国の存在場所についての推論が、それぞれ「厳密文献批判」に立っていると主張しながら、今なお大きくは九州説(この中にも諸説ありますが)から大和説までに分離している実態を挙げます。つまり、19世紀的文献批判学は、もはや主観の相違の乱戦場裡と化し、「それは、その役目を終え、学の健全な発展のための桎梏となりつつあるかのようでさえある」と嘆息します。

かつての「文献批判学」が、「数理文献批判学」へと進展しつつある西欧の状況に対して、残念ながら日本における文献学が、「百年の惰眠をむさぼりながら、そのことに気がついていない」と現状を糾弾するのです。「数理文献学は、『確実とはいえない文献から、いかにして、正しい情報を獲得するか』の客観的な技術を」、「コンピューターをはじめとし数理文献学が利用しうる情報科学技術の急速な進展」のなかで打ち立てつつあるものであり、その立場からこの記紀の世界を理解しようとする壮大な試みがこの著作であるのです。

歴史を逆転して俯瞰することが不可能である以上、100%の確実性を実証できない歴史事象は全て仮定ではあります。しかしその仮定は、論理の展開の科学性と合理性によって、対数的に真実に近いものとの説得性を強く持ちえます。そして、歴史を理解しようとする方法そのものが、歴史的に進展してきています。著者がここで記述している仮定的な推論に賛意を感じるかどうかを問わず、推論に至る斬新な分析の方法は、間違いなく今後の歴史学のあり方に大きな一石を投じたものと思われます。日本史、とりわけ古代史に興味をお持ちの方は是非一読なされることをお勧めします。