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第37回 2005/07/01
強情・彦左
37

書名:強情・彦左
著者:小島英記
出版社:日本経済新聞社
出版年月日:2005年4月22日
ISBN:4−532−17066−4
価格:1,890円(税込)
http://www.nikkei-bookdirect.com/bookdirect/item.php?did=17066

ご存知、一心太助とのコンビで語られる「天下のご意見番」大久保彦左衛門を、その誕生から逝去するまでを描いた作品。

かつて、司馬遼太郎は大村益次郎を扱った作品、『花神』(執筆は1969年から1971年)で、大村益次郎を明治維新の遂行過程における近代的な兵制の立案、確立者として描いています。確か司馬は、革命の端緒においては革命的思想家、政治理念の持ち主が必要とされ、いざ一旦革命の幕が切って落とされた瞬間から、専門の技術者が要求されると記しました。その意味で、明治維新という革命の「花」を咲かす「神」に大村益次郎を擬えたのでした。

さて、桶狭間の戦いが起きた1560年に大久保家の八男として生まれた、後の彦左衛門こと平助は、天下の覇者となるまでの徳川家康そして秀忠に仕え、戦乱の世を武士(もののふ)の道を一筋に生きていきます。しかし、関が原の戦い(1600年)、大坂冬の陣(1614年)、大坂夏の陣(1615年)を経て、動乱の時代が終結し、徳川家による秩序回復の時代へと移っていきます。江戸幕府開闢の祖、家康亡き後の、二代秀忠そして三代家光の時代は、治世に長けた官僚を必要とし、かつての武勇とその精神をのみ旗頭としてきた、「武功派」は生きてはいけない時代でもありました。ここに大久保彦左衛門忠教(1560〜1639年)の悲しみと憤懣が、『三河物語』を執筆させるに至ったようです。革命前の政治家でも、革命中の技術者でもあることはできなかった武辺の一徹さだけを持って生きた彦左衛門の悲哀が感じられます。

この作品は小説ですので、取り上げられた個々の事件、出来事の信憑性を問うことはできません。しかし、教則本とも言われる、山岡荘八の『徳川家康』(1958年にNHKで大河番組化されました)に描かれた徳川家の歴史、その内幕とそれぞれの人となりが、まったく異なった観点から表現されます。おそらく『三河物語』をある意味で忠実に骨格としたことからでしょうか、実に率直で、時としては無骨な表現が、全体としてさわやかな読後感を与えます。家康の長男、信康にたいする、讒言による処罰の背景を、「小説的」脚色をまったく感じさせることなく描いたくだりは、史実に最も近いのではないかと感じさせます。また、家康自体の人となりも、この『強情・彦左』の方がよほどその時代を反映した、かくありなんと思わせるものがあります。

この小説の骨格、『三河物語』は、門外不出として書かれ(完成は1626年)たものの、既にその当時、「冷遇されていく武功派の不平親代衆に喝采を持って受け入れられていった。」だが、それを決定的にしたのは、約200年後の幕末期であったようです。幕末から明治初期にかけて、日本のシェークスピアとまで称えられた、歌舞伎作者、河竹黙阿弥(1816〜1893年)による紹介が、その後、講談、映画を介して一気に大衆化して行ったようです。

さて、最初に「ご存知云々」と書いてしまいましたが、そのまますんなり読んでいただけた方は恐らく40歳代後半以上の方でしょう。私どもの世代にとっての彦左衛門は、かつての中村錦之助演ずるヒーロー、一心太助のスポンサーとして必須の存在でした。東映の盛隆期、1958年の第一作『江戸の名物男 一心太助』(沢島忠監督)から第三作までは、月形龍之介(第三作で彦左は死去します)が、第四作(1961年)、第五作(1963年)は、進藤英太郎が彦左を演じていました。勧善懲悪に徹した、実に単純なストーリ−展開でしたが、新進気鋭な主役と、戦前からのそうそうたるキャリアを誇る助演者やきらめくばかりの脇役の演技のすばらしさが、子供であった私だけでなく、一緒に観客となっている大人たちも含め全てを、わくわくとした別世界に誘っていったことを今でも思い出します。江戸時代の成り立ちを、それを支えた底辺から見ることができる、さわやかな名著です。