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第120回 2010/10/01

「新生CEC、10年経ちました。」

 今日10月1日は、ミレニアムイアー2000年に、それまでの三洋電機傘下のCEC・中央電機から、CEC株式会社として独立して以来、ちょうど十年を経たことになります。一年に12回配信しましたので、今回で丁度120回目の配信となります。

 登記上は2000年9月中旬に設立日が記録されていますが、登記手続きを申請した日が、後日、設立日として登録される商法上の手続きの故で、実質の営業活動の開始は2000年10月1日でした。その意味で、10月1日が新生CECの誕生日ともいえます。この十年間、CECを支え続けていただきましたユーザーの皆様方にまず深く感謝申し上げます。そして、当社とユーザー様を結びつけていただきました、販売店、取次店、代理店、問屋そして販売代理の皆様方にもこの場を借りまして、あらためて御礼申し上げます。

 既にこのコラムでも何度もふれてまいりましたが、出発当初は、売り上げの90%強がメーカー各社様との取引でした。企業にとりまして、ブランドイメージと販売網の確立したメーカーとの取引は、販売予定が立てやすく、また販売金額も多額に上るため、短期的には経営計画が立てやすく、金融機関の信用も安易に得ることができます。その一方、あくまでも先方様の都合により中期的な計画が大幅に左右され、長期的にはまったく先行きが見えません。他方で、数量上、そして売上金額上のメリットがある反面、利益についてはわずかでも確保できればよいほどまでに圧縮されてしまいます。

 それ故に、新生CECの課題は、メーカー取引の有用期間中に、自前のCEC製品での開発能力を上げることと、それにともなう販売網の確立でした。何とか自社製品の販売を中心にして経営の骨格を確立することが当初からのテーマでありました。数少ないメンバーで、何とかこの課題を解決すべく尽力してまいりましたが、それは決して簡単なことではありませんでした。

 自社ブランド製品の販売による企業経営方針の確立は、全世界のOEM,ODMメーカーの夢でもあります。電機業界にとどまらず、自動車、重工業界における世界に冠たる大メーカーは、絶対数では恐らく10%に遠いものがあるのではないでしょうか。残り90%以上の企業が、そうした大メーカーを支える中小零細企業といえます。当社の場合、1998年のリーマンショックに続く世界的な景気の急速な冷え込みが、待ったなしで従来の課題を緊急なものとして私どもの眼前に迫って来ました。

 自社ブランド製品での経営戦略の確立に関して、今日から反省しますと、製品ジャンルの拡大に急ぐあまり、品質保証上のバックアップが必ずしも十全でなかったことがあげられます。皆様ご存知の通り、CECの歴史的な固有技術は、フォノモーター、レコードプレーヤー、そしてCDプレーヤー、CDトランスポートです。この十年間に、新しい分野として、一旦地平線の下に沈んだかに見えたヘッドフォンアンプと、それに関連したD/Aコンバーターの開発とプロモーションは、皆様にご承認いただき、或る意味では、オーディオ業界の先駆的な役割を担ったと自負いたしております。しかし残念ながら、ホームユーズのアンプにつきましては、失敗の連続でした。また、多機種を集中して一工場に生産委託したため、固有技術部門においても生産管理上の不手際を派生させるに至り、まことに面目次第もない状態に立ち至ったこともございました。

 現在、CECでは、全面的な設計と生産の見直し作業に入っております。最大の課題でありました、アンプにつきましては、先駆的な設計よりも、安定した再生回路を確保し、ベルトドライブCDとのマッチング上、最適な音質を確保できる製品を開発中です。また、先月にご紹介しました、TL51X,TL51XRの後継機、新製品TL3Nは、当初から国内生産を予定し、その最終的な確認段階に入っております。11月初旬の東京インターナショナル・オーディオショーでは、それぞれご紹介できるものと思っております。

 9月中旬までは猛暑が継続しました。月末にかけて、一転涼しいというよりも肌寒い雨模様の日々に激変しました。熱い間はじっと地中に潜んでいたヒガンバナが、ちょうどお彼岸に合わせたかのように慌てて茎を伸ばし花を咲かせ始めたました。

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(キアゲハとヒガンバナ)

  さいたま市内ではほとんど稲刈りが終わっていますが、埼玉県でも周辺部ではまだ稲穂の黄金色が波打っています。時としてかなりくたびれた案山子も散見できたりします。ほとんどの皆さんが、ご存知の案山子を歌った童謡に、「山田の中の一本足の案山子」という歌詞に始まる、「案山子」があります。

 尋常小学校唱歌として、明治44年(1911年)に紹介されたこの、現在では文部省唱歌は、武笠三(むかさ・さん)作詞、山田源一郎作曲。この作詞者は、さいたま市内の見沼田圃にある、見沼氷川神社(女体神社)の神主の家系。つまり歌われている山田(やまだ)とは、見沼田圃のことなのです。案山子発祥の地と称され、案山子像も建てられている隣接する公園は、地元では「かかし公園」と呼ばれています。

 作詞者が神主の家系であることから、廃仏毀釈の時代を背景に、あえて神秘性を取り去った歌であるとか、歌詞が身障者に対する配慮がないという批判もなされたようです。どうもそうは思えません。秋の稲穂がたわわに実った黄金色の波の中、ひっそりとたたずむぼろ衣姿の案山子を、嘲笑するかのように笑う中に、案山子に対する憐れみ、ペーソスが感じられると思えるのですが。

 気候が急変していることが常態化している昨今です。どうか、気温の変化には、いつもお気づかいください。あらためまして、当社が十年間を過ごしてこれましたことを、心から感謝いたします。





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