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第106回 2009/08/02
「真夏に備えて」

 本来であれば、夏、真最中であるべき8月に入りました。関東地方では、7月10日過ぎにいったん「梅雨明け宣言」が出されましたが、一週間もしないうちに「戻り梅雨」となりました(今のところ気象庁は、この梅雨明け宣言を公式には撤回していないようですが)。また関西地方では、梅雨状態がそのまま継続し、このままでは記録上もっとも長い梅雨となりそうです。この間、九州、中国地方の一部では集中豪雨に見舞われ、家屋の浸水、道路の冠水、土砂崩れのなどの災害報道が続きました。災害にあわれた方々には心からお見舞い申し上げます。一昨年にはあれほど多かった台風の本土上陸も、昨年、本年と発生件数そのものが異常に低下しているようです。ここ数年来、巷騒がれる地球温暖化とは一言で括れない自然の異常現象が徐々に表れてきているように思われてなりません

 いずれにせよ、これから1週間後には、多くの企業がお盆休みとなります。おそらくそのころまでには長かった梅雨も明けているのではないでしょうか。長い梅雨と対応するかのように、8月はほぼ一ヶ月間国政選挙(衆議院)の月となりました。昨7月21日に衆議院の解散が宣言されましたので、実質40日間の選挙期間となり、これも衆参両議院開設後、最長の選挙期間となります。6,7月の地方首長選挙で、野党民主党の推す候補者が当選し続けたことからも、更には現政権の支持率の急速な後退から、週刊誌を中心とした一部マスメディアでは、政権の交代が既定路線であるかのように報道され始めています。選挙は水ものといわれていますように、この一ヶ月間にどのような事態が招来するか予断を許しませんが、政策を巡る論争が徹底され、その意味するところが広く理解されるようであれば、長い選挙期間も決して無意味ではないかもしれません。

 さて、空模様はどうであれ夏です。「夏がくれば思い出す」(江間章子・作詞)で始まる「夏の思い出」の曲は皆さんご存知のことと思います。日本のシューベルトとも称えられた、この曲の作曲家、中田喜直(なかだよしなお)氏は、以前この「独り言」ご紹介した「早春賦」を作曲した中田章氏の次男で、春を歌った曲で父親をしのぐことはできないと語ったとも伝えられています。日本の代表的な高原、尾瀬沼を歌った代表的な曲の歌詞を復唱してみましょう。

 

The Music
Photo:ヒメシャクナゲ

 夏がくれば 思いだす

 はるかな尾瀬 遠い空

 霧の中に うかびくる

 やさしいかげ 野の小径

 水ばしょうの花が 咲いている

 夢みて咲いている 水のほとり

 しゃくなげ色に たそがれる

 はるかな尾瀬 遠い空

 

 事実としては、尾瀬沼にミズバショウが咲くのは5月下旬から6月上旬、まだ夏とは言えません。シャクナゲ(尾瀬沼ではヒメシャクナゲ)は、6月下旬から7月上旬に咲きます。早く咲く花が、それより遅く咲く花をたそがれることはありえません。しかし、この曲のいかにもペーソスに満ちた旋律が、抒情的に詠まれた詩を、実際の尾瀬沼からその詩の読み上げた架空世界に導いてしまったように思われます。詩の持つ抒情性を旋律が見事にカバーし、疑問の余地のない詩的世界に昇華させた類まれな名曲であると思えてなりません。

 作詞家は、「思い出」としてくくることにより、時間の誤差をあいまいできますが、作曲家はその上を行き、そうした事実関係に疑問の余地をさしはさまない美的世界を築いたように聞こえます。またこの曲は、音程の差が少ないことから、オクターブの上げ下げで、ソプラノ歌手から、小学生唱歌の合唱グループに至るまで幅広く門戸を開いているようでもあります。中田喜直氏作曲の広く知られた、「小さい秋見つけた」や「雪の降る街を」に比べて勝るとも劣らないこの名曲のもつ哀しみは、歌詞には表現されていない、自身の戦争体験者としての恐怖、悲しみをメロディーの中に織り込んだ曲として、8月の日本の歌ともいえるものだといえるでしょう。また、父中田章氏の「早春賦」が、事実の叙実的表現であるとすれば、氏の「夏がくれば思い出す」は、全くの架空世界を尾瀬沼に託して作り上げた創造的抒情世界であり、作曲家のどちらかといえば独壇場ともいえるもののように思われてなりません。

 涼しい朝があったかと思いきや、突然夏の気温に戻る夕方となったり、一日の中にも変化の多い異常な夏です。風邪をひかれる方も多いと報道されております。どうか体調の変化に十分気を付けられ、間もなく来るであろう真夏の日々の日差しの強さにお備え下さい。







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