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第07回 2001/5/07

いつも、お読みいただきありがとうございます。皆様からのご質問で、多いのは「CECの製品作りについて、どんなポリシーで作られているのか、ベルトドライブでCDプレーヤーを作るという発想は、どこから生まれたのか等、もっと良く知りたい」というものです。そこで何回かに分けて、CECの製品作りの基本的な姿勢や、ベルトドライブCDの開発秘話について述べてみたいと思います。

  再生音楽に対するCECの基本的なスタンス・その2
   
リムドライブからベルトドライブへ、そしてCDプレーヤー

私がCECに入社しましたのが、1971年(昭和46年)3月で、当時は、中央電機株式会社という名称で、埼玉県東松山市東平にありました。

私の出身は九州大分県、大学は福岡県福岡市で、この中央電機が卒業後最初の就職先でした。これほど長い、そして恐らくこれから先もかなりの期間の付き合いになろうとはその頃思いもしませんでした。当初は、新座市に間借りし、東武東上線志木駅から45分で東松山駅下車、そこからバスで15分、東平まで通勤しておりました。

東松山市東平は、現在でもそうですが、梨(当時は長十郎)の一大産地で、会社の周りには梨畑が一面に見渡せたものです。志木駅から川越、坂戸を経て東松山に向かう路線周辺もほとんどが田圃か畑。にぎやかだった九州博多の町から見ますと、ここはなんとも牧歌的な田舎そのものの環境で、とんでもない僻地にきたものだと思ったものですが、他方で受け入れていただいた先輩からは、「九州」の田舎からきた若者が、「関東」の大都会でやっていけるのだろうか、といった危惧を持って迎えられたようです。

  レコードプレーヤーの回転駆動方式の転換期

丁度この1971年前後が、レコードプレーヤーの回転駆動方式に大きな変化をもたらした頃でもあったようです。高級レコードプレーヤーの1960年代までのリムドライブ方式から、ベルトドライブ方式への転換です。単品のレコードプレーヤーは全てベルトドライブ方式、中級モジュラーステレオ用のレコードプレーヤーも次第にこの方式へと移行しつつありましたが、最廉価版のシステム用レコードプレーヤーにはまだリムドライブ方式が採用されておりました。

リムドライブとは、別名アイドラードライブとも呼ばれました。ゴム製の円形(但しセンター部は金属)部品をアイドラーと呼び、このアイドラーをモーターのセンタースピンドル(プーリー)に直接装着し、ターンテーブルの内側に接触させ、モーターの回転スピードをターンテーブルの回転力へと転送する方式をとっておりました。

ゴムは、湿度、温度の環境で経時的に磨耗、変形しますので、何年に一度かはこれを交換する必要があります。他方で、1点だけでターンテーブルと接触しているわけですから、アイドラーの精度がよくても、アイドラーがターンテーブル内側に押し付けられる強度が適切でないと、正確な回転を得る事はできません。

この適切強度を確保するのが、スプリングでした。従って、ターンテーブルの重量、質量(当時材質も、アルミだけでなく鉄、また時として亜鉛材をターンテーブルに使っていましたし、ターンテーブルの直径も必ずしも30cmではなく、それ以下のものもかなりありました)に応じて、設計段階でのスプリングの強度(弾性)設定が重要な課題でもありました。当時の設計室には数限りない種類のスプリングがあったことが記憶に新しいところです。

さて、このアイドラードライブ方式に対して、ベルトドライブ方式は、ターンテーブルの内側に外周と同心円状にリムを立て、そのリムにベルトを掛け、同時にそのベルトの一端をモーターのプーリーに掛ける方式です。ターンテーブルの対称する2箇所に、内周のリムと外周の間に空き窓を開けておけば、簡単にベルトをプーリーに掛けることができます。その際予めベルトはターンテーブルの内周に装着されています。この方式ですと、モーターのプーリーを介した回転がより大きな範囲でターンテーブルにむら無く伝わりますし、何よりもベルトの交換がアイドラーの交換に比べると簡単にできます。こうして、ダイレクトドライブモーターが開発されるまでベルトドライブ方式が、レコードプレーヤー駆動の主流となっておりました。

翌1972年、CECのレコードプレーヤーをドイツを中心とした欧州に大々的に販売することになり、問題が発生しました。当時、CECで大ヒットしたベルトドライブマニュアルモデルで、今の若い方はご存知ないことですが、BD-3000というモデルがありました。

これは、当時の先駆的なメーカーであった、パイオニアのヒットモデルに追随した形で、木製のウオールナット仕上げのキャビネットにターンテーブルシャーシーを直接固定させ、トーンアーム、カートリッジとも装着したレコードプレーヤー完成型モデルでした。この当時は、まだフォノモーター、トーンアーム、カートリッジがそれぞれ別に販売され、ユーザーサイドでキャビネットを作成(若しくは購入)し組み立てる販売形態もかなりの比率を占めていたのです。その意味でBD-3000は、レコードプレーヤーの原点とも言えるモデルでした。

さて欧州での問題とはハウリングの発生です。ご存知のように、レコード盤に物理的に刻み付けられた溝を、カートリッジの針先がなぞって進むことによりその溝の信号をカートリッジが受け、それを増幅してオーディオアナログ信号としてアンプに転送するまでが レコードプレーヤーの仕事です。針先はその意味で常に細かく正確に振動しつづけなければなりません。ところがこの信号が、アンプそしてスピーカーへと転送される間に物理的にノイズを増幅してしまいますと、オーディオ信号以上の大きさとなり、音楽どころではなくなります。欧州では、当時の日本より、かなりの大音量で音楽を聴き、かつ再生装置を密集させて置くユーザーが多かったため、日本での販売ではそれほど問題にならなかったハウリングがかなりの頻度で発生し、このままでは販売不可能との判断まで出される始末でした。

様々な検討の後、最終的にシャーシーの4隅にスプリングを入れ、シャーシーをキャビネットからフローティングさせることによりこの問題を解決するに至ったのです。アイドラードライブのモジュラーステレオ用のシャーシーでは、レコードプレーヤーの下にアンプ若しくはレシーバーがあることになりますので、アンプのパワートランスの振動を直に受け、レコードプレーヤーの演奏に支障が発生するため、シャーシーの下、4隅にスプリングを装着したことはありましたが、これはハウリング対策を目的としたものではなかったのです。

欧州からの強いクレームにより、このやり方をとってみようということになりました。スプリングフロートは、当社にとっては最も価格の安い製品にしか採用していないこと、先駆者である同業の大メーカーのどこもこうした方式を採用していないこと等から、社内ではかなりの批判もありましたが、このままでは売れないのですから何かするしかありません。

ここで生かされたのが、リムドライブ時代のスプリング研究です。数限りないほどのスプリングをリム装着時の条件にあわせ使用してきたのですから、素地はあったわけです。しかし、わずか直径5cm足らずのリムに対応するスプリングと、少なくとも横幅50cm、奥行き35cmはあるシャーシーを支えるスプリングが同一であってよいはずはありません。また、スプリングを受ける部分は木製のキャビネットですから、機械加工でザグリを入れるにしても、精度上まったく同一に仕上げることは不可能です。

こうして、スプリングにウレタン系のアブソーバーを組み合わせるアイディアが最終的にまとまり、国内のBD-3000に対して、スプリングフロート方式採用モデルをBD-2000として、欧州のバイヤーに提示、最終的には日本国内以上の好評を博すことができました。

時系列的にはこういう経過をたどってできた、スプリングフロート方式ですが、信号をピックアップする最もデリケートな部分の振動の除去には、この方式が最適であると今では確信しております。