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第059回 2007/09/26
日本発テクノの雄、YMOのその後と坂本龍一

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YELLOW MAGIC ORCHESTRA
『 SOLID STATE SURVIVOR』(ソリッドステート・サヴァイヴァー)

(A面)TECHNOPOLIS/ABSOLUTE EGO DANCE/RYDEEN/CASTALIA
(B面)BEHIND THE MASK/DAY TRIPPER/INSOMNIA/SOLID STATE SURVIVOR

坂本龍一(kbd.vo)、高橋幸宏(ds,vo),細野晴臣(b,kbd,vo),
松武秀樹(computer programming)、鮎川誠(g)、SANDI(vo)

日アルファ ALR 6022
(発売:1979年)


 YMO世代という言葉があるようだし、その音楽的影響を受けたミュージシャンたちもまたYMOチルドレンと言うらしい。このYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は、1978年に最初のデビュー・アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」を発売し、以降10のオリジナル・アルバムを出して、5年後の83年に一旦解散(彼らの言葉では”散開”)したテクノ、もしくはテクノ・ポップのグループだが、その期間における若者たちへの影響は絶大だった。メンバーは、ベース兼ボーカルで最年長のリーダーでもある細野晴臣、ドラムス・ボーカルの高橋幸宏、そしてキーボード・ボーカルの坂本龍一の3人構成。70年代後半といえば、シンセサイザーやコンピューターを駆使した音楽も珍しく、ポップの分野ではドイツのクラフトワークぐらいしかなかったし、こうした試み自体画期的だった。
 1970年代後半から80年代中盤にかけて、こうしたコンピューター・シンセサイザーによるサウンドを「テクノ」とか「テクノ・ポップ」と総称するようだが、YMOなどは、さながらその中核的存在だったと言える。
 翌年の79年、アメリカでもデビュー・アルバムを若干変更したUSバージョンが発売され、彼らの名声も半ば世界的なものとなっていく。
 そして第2作目の「ソリッドステート・サヴァイヴァー」が発売されるや爆発的大ヒットとなり、一躍80年のオリコン年間チャート第1位のミリオン・セラー・アルバムとなった。同年の日本レコード大賞アルバム賞も受賞、日本では空前のテクノ・ブームの火付け役になったアルバムである。
 このブームは、一音楽界に止まらず、そのファッション性も含めた社会現象となっていく。YMOの3人が、美大出身の高橋幸宏デザインによる赤い中国の人民服に身を包み、短髪ともみあげ部分をそり落とした髪型「テクノ・カット」で登場するのだが、やがて「赤い人民服」と「テクノカット」は、このグループのトレード・マークとなり、とくに「テクノ・カット」は、若者たちの間ではアッという間に流行し、ブームは加速度的にフィーヴァーしていった。

 ここでは、その彼らの代表作として2作目の大ヒット・アルバム「ソリッドステート・サヴァイヴァー」を取りあげてみたい。
 全8曲中、ビートルズ・ナンバーの”DAY TRIPPER”以外は、全てYMOメンバーによる作曲になる。B面”BEHIND THE MASK” 以下4曲の歌詞は、クリス・モスデルによるものだが、アルバムの全8曲には横文字のタイトルがつき、歌詞も英語で歌われる。これは、多分最初から欧米を中心とした世界市場を意図したものであろうし、現に本アルバム発売後、YMOはワールド・ツアーへと出発している。
 ”TECHNOPOLIS”(作曲 坂本)、”RYDEEN”(作曲 高橋)、”BEHIND THE MASK”(作曲 坂本/高橋)などは、何れもグループの代表曲となるが、初期YMOサウンドというべきか、どの曲も比較的単純なリズムに乗ってご機嫌に進行するが、シンセによるややメカニックな明るい音色とビートの効いた低音が何とも心地よい。ゲスト・ヴォーカルのサンディがお囃子を入れるユニークな”ABSOLUTE EGO DANCE”(作曲 細野)や同じくゲストの鮎川誠が難解なギターを弾く”DAY TRIPPER”も完全なYMOヴァージョンになっている。曲の基調としては(A面)の曲はディスコ的ダンス・ミュージック風(最後の”CASTALIA”のみは坂本によるピアノ中心の曲で異色)、B面はパンクもしくはニュー・ウェイヴ的といわれる。
 ユニークな点では、ジャケットも同様である。「雀卓を囲む赤い人民服の3人とマネキン」ジャケットとして有名だが、ジャケット・コンセプトが細野、アート・ディレクションを坂本の芸大時代の友人、羽良多平吉、コスチュームが高橋、美術(場面セッティング)と写真撮影が鋤田正義らによるコラボレーションである。
 このグループ、ジャケットにも大いに注意を払い、その後のアルバムでも、奥村靫正や井上嗣也などを起用した。

 このYMOも1983年12月には惜しまれて解散(散開)するが、その後も思い出したように再会(彼らの用語では”再生”)を繰り返しているのが面白い。ちょうど10年後の1993年に再生したが、すぐに散開し、2003年バルセロナのフェステイヴァルで再生した。
 今年2007年5月19日に再生し、このコンサートの模様がテレビでも放映された。ここでは「以心電信」「ONGAKU」「RYDEEN」などが演奏されたが、結成以来、早や30年、細野60歳、坂本と高橋が何れも55歳。彼らは皆、歳の功を重ねて白髪混じりの良いオジさんになっていたが、まだまだ進化に対する意欲は旺盛と見受けられた。
 こうして3人が一緒でないときは、夫々がソロ活動に注力しているということだが、YMOを起点に羽ばたいた3人が、それぞれ独自の世界で、しかも第一線でミュージシャンのあるべき姿を身を以て実践・追求しているのは、素晴らしいことではあるまいか。そのためにも、儀式のように時々3人が会っては離れる散開と再生の繰り返しが 各々のソロ活動における進化の観点からも必要なのであろう。
 団塊世代の星として、これからも3人の末長い活躍を大いに期待したいものだ。

 ここでは筆者にとって中でも興味のある1人、3人の中でも特異な存在であるクラシック出身の坂本龍一について若干補足しておきたい。
 1952年東京生まれ。70年芸大作曲科に入学、民族音楽の小泉文夫や現代音楽の三善晃に師事。在学中は、中でも小泉文夫の音楽に対する姿勢には大いに共鳴したようである。74年に卒業後、電子音楽に興味をもち76年大学院音響研究科を卒業している。78年YMO結成に参加。YMOでのあだ名は「教授」だった。同時にソロ活動も行うが、中でも知られるのは映画音楽の作曲。83年には監督大島渚のもと、「戦場のメリークリスマス」の映画音楽を担当し、同時にヨノイ大尉役で俳優出演もしている。映画音楽部門で英国アカデミー賞受賞。87年、ベルトリッチ監督作品「ラスト・エンペラー」でも映画音楽担当とともに甘糟理事長役で出演。この作品ではアカデミー音楽作曲賞を受賞した。以降20本を超える映画のための音楽を作曲している。作風傾向としては、幻想的なオリエンタリズムを濃厚に反映させたものが多く、欧米人にはエキゾティックな謎めいた魅力を感じさせるのではなかろうか。
 92年、バルセロナ・オリンピックでは開会式のマスゲームの音楽を担当し、当日の指揮も行った。99年、三共製薬のCMに使われたピアノ曲「エナジー・フロー」所収のシングル「ウラ BTTB」がミリオン・セラー。同年、オペラ「LIFE」を上演。2001年、地雷根絶キャンペーン支援の一環としてチャリティ・ソング「ZERO LANDMINE]を作曲し、地雷除去運動の中心的存在となった。2001年、アメリカ同時多発テロ事件を契機に論考集「非戦」を共著出版し、一部では物議をかもしたが、環境問題、平和問題に対しても、積極的に音楽界からも発言し、臆せず率先して実践行動を行っているのは立派である。
 これ以外にも多数の著書と各界文化人との対談集と共に、20近いソロ・アルバムを出している・・というように音楽活動、社会活動の両面において、坂本龍一はこれからも増々目が離せない存在となろう。