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第041回 2007/03/05
生々とした実在感(リヴィング・プレゼンス)─
「1812年」と「ウェリントンの勝利」

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米マーキュリー SRD-19
ピョトル・イリイチ・チャイコフスキー
祝典序曲『1812年 作品49』

ミネアポリス交響楽団, ミネソタ大学ブラス・バンド,
ディームズ・テイラー(語り)
(録音:1958年4月 ミネアポリス)

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン
『ウェリントンの勝利 または ヴィットリアの戦い 作品91』

ロンドン交響楽団&ディームズ・テイラー(語り)
(録音:1960年6月 ウェンブリー)
※何れも アンタル・ドラティ指揮


 好きな音楽を自宅でしかもそこそこ良い状態で聴けるなどということは、半世紀ほど前の終戦後間もない日本では夢のような出来事だった。
 熱狂的オーディオ・マニアでもあった剣豪小説作家、故五味康祐氏は、「音を良くする、即ちオーディオ道を極めるためには、“音の求道者”とならねばならない。そのオーディオ装置で鳴っているのは、その人の人生そのもの」と言われたが、剣の道にも通じるという氏のオーディオに対する燃えるような情熱が今となっては大変に懐かしい。
 筆者の場合、五味流“オーディオ道”とは程遠く、精々、道楽の入り口程度ではあったが、それでもこのオーディオなる魔物的悦楽には随分と入れ込んだ時期があった。
 この道にせよ、道楽にせよ、大切なことは、どんなに高価な銘機と言われる装置(ハード)であっても、それだけでは何の用もなさず、問題はこの装置を使ってLPなりCDといったソフトを再現したとき、どんな音楽が鳴り響くかということであろう。原音(ナマの音)を忠実に再生することが最終的な目標ではあろうが、現実的には中々難しい。筆者にとっては、最低限、出来るだけ雑音のないクリーンな状態で中音が充実し、音が刺激的でなく、スーッと前に出てくれれば不満はなかった。要は長時間聴いても疲れない音ということであろうか。更に欲をいえば、ステレオなら臨場感の中に夫々の楽器や肉声がそれらしい音色でそこそこ定位し、しかもバランス良くハモって響くようであれば申し分なかった。
 然し、この程度の条件であっても、勿論ハード(装置)だけで解決されるものではなく、実はソフトに因るところが大なのでる。ソフトの品質が粗悪品なら問題外だし(世の中この粗悪品が随分と多い)、また凡ゆるジャンルのソフトに対応する万能な装置などは存在せず、結局は自身の好む分野の音楽をそこそこのレベルで鳴らしてくれる装置で満足せざるを得ないということであろう。
 こうした理由から、筆者は昔から何枚かのチェック用のLPレコードなりCDを決めていて、人様のオーディオ装置を聴かせて貰うときには、何時もこれらの中から何枚か選んで出掛けた。通常、ジャズ・ポップス系が1〜2枚、クラシックは大編成もの1枚とピアノ、室内楽、もしくはヴォーカル系で2〜3枚程度、計5〜6枚程だが、それぞれの鳴らす部分も決まっていた。

 今回、取り上げた序曲「1812年」も、一時(といっても30年以上前のことだが)、そうしたチェック用レコードとして使用したものの1枚である。何と云っても、大規模な編成から繰り出されるオーケストラ・サウンドは、華やかでダイナミックそのもの、金管楽器群は咆哮し、最後には本物の鐘や大砲が乱打・発砲され、その迫力たるや並みのものではない。
 チャイコフスキーは、遥か後世に出現するオーディオ製品の性能チェック用に予め作曲しておいてくれたのではと思わせるほどである。
 曲の長さは20分程度、3部構成から成る標題音楽で、題材は、1812年、ナポレオン率いるフランス軍がロシアに攻め入るが、激しい戦闘の末、ロシア軍が勝利するという内容。第1部「ラルゴ」は、戦争前夜。ロシア正教の有名な賛美歌「神よ、人々を護りたまえ」が奏され、ナポレオンの大軍に囲まれたロシア国民の苦悩が描かれ、第2部「アンダンテ」は、いよいよ戦闘シーン。小太鼓とホルンによるロシア国歌でロシア軍が結集し、「アレグロ」で戦闘開始、最初はフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が優勢だが、やがてロシア軍を表すノブゴドロ地方の民謡が次第に強まり全面戦争へ。「ラ・マルセイエーズ」は次第に弱まり、やがてフランス軍の敗走。第3部は勝利のシーン。「ラルゴ」の聖歌から勝利の鐘が鳴り響き、「アレグロ・ヴィヴァーチェ」でロシア国歌が奏される。そして大砲が連続発砲されて、熱狂的クライマックスの中に終曲となる。といった大変に分かりやすい、これぞチャイコフスキーといった典型的通俗作品である。
 じつは、この曲、師匠アントン・ルービンシュタインの薦めで、ナポレオン侵攻の際、破壊されたクレムリン寺院の再建記念用に作曲され、1882年に、この寺院前大広場で初演が行われた。最後の部分では、クレムリンの鐘が一斉に鳴らされ、大広場に並んだ砲兵隊により本物の大砲が相次いで撃ち放されたという。

 しかも、このレコード、「1812年」序曲とカップリングされているのが、ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」通称「戦争交響曲」と呼ばれるもので、これまた、かのメトロノームの発明者でもあるメルツェルの誘いで作曲された凡そベートーヴェンらしからぬ通俗作品というより際物といったほうがいい。こちらは、1813年、即ちナポレオンのロシア侵攻失敗の翌年の英仏戦争が舞台で、名将ウェリントン率いるイギリス軍がナポレオン・フランス軍を破った戦闘を描くベートーヴェンにとって唯一の標題音楽でもある。1804年、ナポレオンが皇帝になって以来、ナポレオン憎しの急先鋒ベートーヴェンにとって、この勝敗の結果も大いに気になるところだっだが、戦場の地名をとって、「ヴィットリアの戦い」という別題が付いている。
 こちらは2部構成で、第1部「戦争」では、舞台に向かって右側の英国陣営がトランペットと太鼓で英国民謡「ルール・ブリタニア」を、左のフランス陣営側は行進曲「マールボロ」を奏し、やがて砲声響く戦闘場面へと突入。第二部「勝利」で英国軍が大勝利、英国国歌「ゴッド・セイブ・ザ・キング」とそのフーガによる反復などで、大いに盛り上がって終曲となる。初演は1813年、ウィーン大学での戦傷兵士のためのチャリティ音楽会で行われたが、この曲、当時は何処でも大人気だった。英仏両軍を表す2組のバンドが特別に用意されたり、こちらの初演では大砲用に超大型太鼓が使用された。

さて、このオーディオ用にピッタリのナポレオンが絡む2作品の録音は、1950年代から60年代半ばにかけて「リヴィング・プレゼンス」をうたい文句に一世を風靡した米マーキュリーによってレコード化され、何と200万枚以上のミリオン・セラーとなった。制作者ウィルマ・コザート、録音エンジニア、ロバート・ファインの名コンビによる一枚。オーディオ効果を高めるために、後に35ミリ幅の磁気テープを使用したりするが、最後まで3本のマイク・セッティング・ポリシーを貫いた。
 「1812年」では、ウェスト・ポイント博物館から1775年製フランスの大砲やニューヨーク、リヴァーサイド教会のカリヨンを、「ウェリントンの勝利」でも実物の大砲、榴弾砲、マスケット銃を使用。こちらもフランス砲は1761年製、英国砲も1755年製などナポレオン時代のものを借・使用するなど念の入れようで、レコード史上、実物の砲弾音を採用した最初の録音とも云われた。
 何れも指揮はハンガリー出身の名指揮者アンタル・ドラティ。こうした典型的通俗作品においても可能な限り音楽性と厳しいド迫力を生み出すことに成功している。
 ドラティは、作曲家として多くの作曲をする傍ら、優れたオーケストラ・ビルダーとして、マーキュリー初め多くのレーベルに相当量の録音を残して1988年に他界、昨年は1806年生まれのこの指揮者にとって生誕100周年でもあった。指揮活動では、やはり同郷の先輩バルトーク、コダイを初め、近代音楽を得意とした。
 本レコード、作品の価値云々は別にしても、とりわけオーディオ・マニアにとって大変貴重な名録音ということで取り上げた。 ジャケットは、いまひとつ品位には欠けるが、そのものズバリといった大砲と宣伝文字によるもの。正真正銘、実利を狙ったというべきか。

P.S.
 話は変わるが、最近クリント・イーストウッド監督のアメリカ映画「硫黄島からの手紙」(2006年制作)を観た。
 ベートーヴェンやチャイコフスキーが動画風に描いたナポレオン時代の戦争とは多分全く異次元の目を覆うような戦闘地獄を克明に描くことによって表現したかったもの、それは戦争という極限状態の残酷さと虚しさであろう。それにしても、日本は全く勝ち目がないと判ってから、いかに多くの有能な若者たちを次々と戦場で失っていったことか。こうした真の意味での反戦映画が戦後半世紀以上を経た現在、戦勝国の人間によって、しかも極めてフェアな視点から制作されたという事実には感動すら覚える。1人でも多くの特に若者に観ていただきたい映画である。