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第039回 2007/01/25
バロック・ベル・カントの熱狂とルネッサンス建築

日デッカ DVD UCBD-1020
チェチーリア・バルトリ『ライブ・イン・イタリー』

ジュリオ・カッチーニ「翼を持つ愛の神」「アマリッリ」「泉へ、草原へ」/ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル「刺は捨ておき」(オラトリオ<時と悟りの勝利>より)/アントニオ・ヴィヴァルデイ「二つの風にかき乱され」(歌劇<グリゼルダ>より)/ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト「鳥よ、年ごとに」「喜びの気分を」(歌劇<フィガロの結婚>より)/ボーリーヌ・ヴィアルド「ハバネラ」「アイ・リュリ」/エクトール・ベルリオーズ「ザイーデ」
ほか17曲(アンコール曲 5曲を含め)計30曲

チェチーリア・バルトリ(Ms), ジャン=イーヴ・ティボーデ(p), ソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ

(1998年6月 ヴィンチェンツア、テアトロ・オリンピアにて)


 お正月は、季節柄やはりパッと花開いたような華やかな舞台音楽や芝居がいい。
今回取り上げたDVDも、1998年、北イタリーの町、ヴィチェンツァのテアトロ・オリンピアで収録された当代きっての魅力的なメッゾの一人、チェチーリア・バルトリによるバロックを主体とする実に楽しいコンサート・ライブの記録である。
 ヴィチェンツァは、ミラノとヴェローナのほぼ中間に位置する小さな町だが、この周辺にはご当地生まれのイタリー・ルネッサンスを代表する建築家、アンドレア・パラディオによる建物が多く残されていて、「パラディオ様式」の宝庫とも呼ばれる。彼は、再三古代ローマ遺跡を訪れ、4巻から成る『建築論』を著わすなど当時最も古代建築理論に通じた研究家でもあり、のちの建築家に大きな影響を与えた人物だった。中でも、このコンサートの会場になった劇場、テアトロ・オリンピアは、遺作となった名建築と云われる。1580年、古い兵器庫跡地に町の文化の中心となるべき劇場建設の許可を自ら申請取得し、あらゆる工夫を取り入れて設計に取りかかるが、惜しくも同年完成を待たずに死去。彼の遺志を受け継ぎ、スカモッティによって一部修正の上、1584年に漸く完成をみたが、野外劇場を除く現存する世界最古の劇場建築でもある。

 映像でもお判りの通り、楕円形をした客席から舞台を眺めると、さほど広くない舞台の周囲には大理石の壁と柱で仕切られた空間に幾多の彫像がはめ込まれるが、正面背後の中心部分だけは広く開放されていて、その奥には「永久舞台」として遠近法による古代エジプトの都市テーベの街角が再現されている。劇場を被うスカイ・ブルーの天井には見事な雲が描かれているので、聴衆はまるで野外劇場に座っているような錯覚におそわれるのではなかろうか。従って音響効果は野外劇場とは異なり、抜群によさそうだ。
 もう1つ、我々日本人にとって興味がある歴史的事実は、安土桃山時代、天正少年使節一行が招かれてこの劇場を訪問したことであろう。1582年2月、まだ信長治世の時代、長崎を出発した天正遣欧少年使節団一行は、途中マラッカやインドのゴヤを経由して、漸く1584年8月、ポルトガルのリスボンに到着。翌1585年3月にローマ教皇に謁見後、このヴィチェンツァも訪れ、当時出来たばかりのテアトロ・オリンピアを訪問する。その後各地を巡ってほぼ同じ経路で何と8年後の1590年7月、長崎に帰国したのだが、既に信長は亡く、しかも1687年、秀吉によりバテレン追放令が出されていた事実など、一行は知る由もなかった。

 さて、この由緒ある劇場での公演を強く希望したのが、外でもないチェチーリア・バルトリ当人であった。
 さもありなん、出だしのウオーム・アップ・ピースに“新音楽”としてバロックの幕開けを高らかに謳ったカッチーニ(1545〜1618)から有名な「アマリッリ」以下3つの作品を選んでいる。何れもベル・カント特有の難しいテクニックを要する曲であるが、バルトリは十分に気持を入れ、いとも易々と歌っているので、聴衆にある種の緊張感を強いるということが全くない。聴衆のリラックスし楽しんでいる雰囲気が劇場いっぱいに溢れている。

 LP以降のCD時代に出現したアーティストの中で筆者にとって数少ない好みの歌手の1人でもあるバルトリは、未だ1966年のローマ生まれ。
 82年にローマの聖チェチーリア音楽院入学後、85年には早やリチャレルリやヌッチとともにイタリアのTV出演、またパリのオペラ座でマリア・カラス追悼コンサートに出演して注目された。88年以降、ヨーロッパ各地のオペラ場に出演、同年ロッシーニのオペラ「セヴィーリャの理髪師」をロジーナ役で録音、とくに92年には同じロッシーニの「チェネレントラ(シンデレラ)」のタイロル・ロールを歌い、シャイー指揮で録音したが、これが世界的に評判となる。昨2006年にはピアノ伴奏者としてのチョン・ミュン・フンとともに13年振りに来日した。

 透き通るような声の美しさ、決して声量のあるほうではないが、広い声域と豊かな肺活量による無理がない的確なブレス・コントロール、そして何と云ってもコロラチューラの超絶的技巧が素晴しい。更にバロック・ベル・カントの諸々の困難な技法を自在に駆使しながら、歌手優位のバロック・オペラに君臨したカストラート(去勢した歌手)の唱法を今に伝える貴重なメッゾといわれ、イタリア・バロック分野を中心に幾多の未知の作品を発掘し、その素晴しさを存分に披露してくれる。何よりバルトリの魅力は、エンターテイナーとしての素質も十分、その旺盛なサービス精神で、聴衆を楽しませるため常に全力投球していることであろう。
 要は十二分なテクニックに裏打ちされたハートフルで大変にチャーミングな歌い手ということであり、本来こうした目の覚めるような技巧による華麗な歌唱こそがバロック・ベル・カントの神髄とも云えるのであろう。

 コンサートの前半はバロック音楽主体で構成され伴奏を古楽アンサンブルのソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカが、後半はフランスのピアニスト、ジャン=イーヴ・ティボーテが受け持っている。前半では、先のカッチーニに続いて、今や知らぬ人がないぐらい有名になってしまったヘンデルのオラトリオ『時と悟りの勝利』から「ラッシャ・ラ・スピナ(刺は捨ておき)」。そして何といっても圧巻は、前半最後のヴィヴァルデイの歌劇『グリゼルダ』から「二つの風にかき乱され」の超人的コロラチューラの技巧であろう。その神業のごとき転がし方の上手さと迫力には全く舌を巻いてしまう。この一曲を聴くだけでも、このDVDの価値は十分にありそうだ。

ティボーテの伴奏による後半は、モーツァルト以降の古典・ロマン派音楽が中心。彼女が得意とするモーツァルト、ロッシーニ以下、シューベルト、ベルリオーズ、ドニゼッテイ、ベルリーニ、ヴィアルドなどによるアリアや歌曲であるが、何れも胸のすくような巧さと感情投入で大いに聴かせる。
 アンコール・ピースは、モーツァルトの「恋とはどんなものかしら」以下5曲、会場は大いに盛り上がって、最後は『カルメン』の「セギディーリャ」で幕となる。全部で何と30曲、最初から息もつかせぬバルトリによる大熱演で、DVDを鑑賞する我々にとってもハッピーでうっとりする至福の2時間余であった。その意味ではバルトリの表情とともに会場の熱気と興奮を伝える映像監督、ブライアン・ラージの手腕も忘れ難い。

 表紙の写真は、演奏終了後、聴衆のスタンディング・オヴェイションに献花を手に応えるバルトリである。