第42回 2005/5/01 |
アオサギ |
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サギの仲間の中では、わが国最大。両翼を広げると160cmにもなります。2番目に大きいダイサギの体長はわずかに小さい90cmですが、両翼長は130cmしかないため空を飛んでいるときの迫力(特に翼の端の部分が黒く目立ちます)には大きな違いがあります。この部分を、風切、初列雨覆部と呼びます。(腹部、つまり下部から見た場合にはこの部分のすばらしいコントラストはそれほどはっきりしていません。)タイトル写真ご参照ください。 飛んでいる姿の雄大さから、ツルの仲間と勘違いされる方もいました。残念ながら、ここ数十年間、ツルの埼玉県への飛来の情報はありません。ツルの仲間は、全て木の枝にとまることは出来ません。それに対して、アオサギは木のかなり高いところに営巣し、子育てをします。江戸時代の諷刺画で、松ノ木にとまるツルの姿が時として見受けられますが、ツルは肢の構造上枝をつかむことが出来ませんので架空画ということでしょう。(またほとんどのツルは細い首を出来るだけ伸ばして飛翔しますが、アオサギを含めた鷺の仲間は飛行を開始すると首を縮めます)上は、他のサギ類との集団営巣地で、木の中ほどに止まっているアオサギの写真です。 生息範囲は広く、ユーラシア大陸中部以南、インドネシア、アフリカ、マダガスカルにまで及びます。ただ、北米アメリカでよく見かけるアオサギそっくりな固体は、この大きなアオサギよりさらに一回り大きく、Great Blue Heron ( Ardea herodias) で、和名はオオアオサギと付けられ、区別されています。現実には、比較できるアオサギが北米にはいませんので、私を含めて最初に見かけた時は、まず間違えてしまいます。 コサギ、チュウサギ、ダイサギといった白いサギ類が、数羽たむろしている傍らに、一羽だけあたかも威風堂々と孤立して見かけられることもあります。水辺の王様といった風情さえ感じさせることもあります。ただいつも単独で生息しているわけではなく、時としてかなり大きな群れを成している様子も見受けられます。ここ埼玉県の彩湖下流域(サキタマ大橋下流部)では、冬場池の中の島に100羽にも及ぼうかという群れを形成します。1980年代、ソウル動物園を訪れた際、数百羽のアオサギが動物園のケージの回りを飛び回っていましたが、今はどうなっているでしょうか。上は、ドイツ、ハンブルグ上空を飛翔していたアオサギです。 素早く飛び回ったり、敏捷に動き回ったりする様子は見かけたことがありません。水の中や水辺でエサを探しているときも、なんとなくおっとりした感じでじっとたたずんでいるかのようです。囀りは、さぎの仲間全体にないようです。飛び立つときに、「ギャ」とか「ギェツ」といった濁音を発します。私の耳にはきれいに聞こえません。 通常、体全体は青味を帯びた灰色、額から頭頂部にかけては喉から後頭部にかけてと同様、白。目の上から後方に特徴的な黒い太い班が伸びます。喉から下腹部にかけて、黒い縦班がはっきり見えます。嘴は黄色、足も黄色ですが褐色味を帯びています。虹彩は黄色。頭には、黒い冠羽があります。何はともあれ、淡水系、汽水系の浅瀬に、シロサギの仲間と一緒にいる最大の色つきのサギがいれば間違いなくこのアオサギです。 他のサギの仲間と同じで、春先から夏場を迎える繁殖期には体の色が変化してきます。目先、嘴、足が赤みを帯びます(婚姻色)。上左の写真を参照ください。しかし、冬季には、体全体が灰色味を強め、嘴も黒っぽくなります。上右は、まだ若いアオサギです。餌は、魚類、カエル類、エビ、カニ等の水辺の生物だけでなく、陸上の小型ネズミを捕食している姿を見かけた人もいます。かなり多様性をもつ採食習性のようです。 多摩川水系のオアサギを観察されている方のURLをご紹介します。 アオサギは夏の季語。俳句にもよく歌われています。やはり、孤独にたたずむ姿が印象深く俳人には映るようです。
奈良時代までは、「みとさぎ」と呼ばれたようで、緑色もしくは水辺の水門(ミト)から採られたとの説があります。アオサギの名称が使用され始めたのは安土桃山時代からのようです。 注:写真は、画像上をクリックすると拡大できます。 |