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第01回 2000/10/01

  1971年3月に

ただ音楽が好きという理由だけで、当時の中央電機(株)に入社し、いつのまにかほぼ30年が経とうとしています。気が付いてみれば、CECの集団の中ではなんと最年長となってしまいました。今振り返ってみますと、とんだ暴走をしたり失敗したりの連続で、ここに至る事が出来ましたのも、これまで暖かくご指導いただいた、既に故人となられた方も含め、諸先輩の皆様方のおかげと、感謝の言葉もありません。

今後、ここでは、私の経験、様々な出来事に対するコメントを忌憚なく書かせてもらい、こうした先輩に対するお礼と、私とCECを皆様に知っていただきたいと思い、このコラムをスタートします。

  私が入社後

オイルショックを通した数年間は、オーディオ業界も活況を呈し、1971年の初任給4万5千円が二桁のパーセンテージで昇給される時代でもありました。人も不足していた時代でしたので、同時入社の同期社員が2、3週間から1ヶ月の研修後、次々と配属されていきました。それに対して私の研修は最も長く、配属先の営業課に行けたのは夏も近づいた6月下旬でした。

現場での研修作業をそつなくこなし、現場の組み立て作業に必要なスタッフと思われたのが原因ではなさそうでした。新入社員紹介の時に遅刻し、最後に「遅刻してきた、いしわた君です」からスタートし、ほぼ連日午前中は酒のにおいをばら撒いていましたから、なんと胡散臭い大学卒だと思われて「監視期間」が必要だったのでしょう。

さて営業課では、当時の花形メーカーである、SANSUIとSONYが私の担当とされました。レコードプレーヤーの何たるかも知らないまま(今だってどの程度判っているかは多分に疑問ですが)ある時は修理に駆り出され、みようみまねの修理がうまく行き、先方のメーカーさんに誉められたりして、内心恐縮したことでした。

  CECが

SANSUIやSONYの製品を、完成品にして客先の指定する倉庫まで納品する。客先はそれを検査し、検査合格後はそれをそのまま市場で販売する。こうしたOEM生産について若干説明の必要があるかもしれません。

未だ一部の方々には信じてもらえないことが多いのですが、特に電気製品はこの当時からOEM生産といわれる「水平分業」が盛んでした。皆さんが日々使われている、例えば日立ブランドの電気製品の全てをそのブランドが製造しているわけではないのです。